鳴物入りで角界入り

 かつて、大学相撲で凄い成績をあげた力士が大相撲入りすると、その時点で大騒ぎした時代というのがあった。
 大学出身で初めて大関になったのが、時津風理事長だった東京農業大学豊山である。しかし、同じ大学を出て時津風部屋に入り、豊山の名を継いだ今の湊親方は、小結どまりだった。その一方、日大から入った輪島がスピード出世で横綱となり、続いて近畿大から長岡が入って大関となった。朝潮である。
 さあこれでマスコミは、青田買い的な報道をするようになり、1983年に同志社大出身でアマチュア相撲でも実績のある服部祐児が伊勢ノ海部屋に入った時は凄かった。伊勢ノ海部屋は当時振るわなかったが、かつて横綱柏戸を出した部屋なので、服部はすぐにも横綱になって柏戸の名を継ぐものと見て、「柏戸のしこ名を汚すなよ」などと書いた者まであった。(山藤章二
 当の柏戸は独立して鏡山親方になっており、伊勢ノ海部屋はその頃、元藤ノ川が継いでいた。しかし服部は、入幕まで二年かかり、ほどなく師匠の名藤ノ川を襲名したが、横綱どころか三役にもあがれず、十両、幕下まで陥落して、87年、26歳で廃業してしまう。
 しかしマスコミは懲りなかった。88年に日大から久嶋が出羽海部屋に入ると、またしても大騒ぎ。朝のNHKでは父親と一緒に出演し、久嶋は啓太、父親は啓太夫(ひらく)というのだが、アナウンサーは興奮して、久嶋に話しかけるのに「ひらく君」と言ってしまうありさまだった。
 久嶋は久嶋海と名乗り、負け越し知らずで入幕したが、期待ほどのことはなく、最高位は前頭筆頭、これまた三役にも入れずに終わった。
 マスコミもこれに懲りたか、大学出身力士にはあまり期待しなくなって、若貴兄弟とかのほうで騒ぐようになる。
 何の分野であれ、初発の段階で、大型新人とか怪物とか言われるのを見ると、私はいつも、服部や久嶋のことを忘れたのかマスコミ、と思うのである。

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http://d.hatena.ne.jp/chikuril/20100314/1268580223
ここに工藤美代子の名を発見して、へええーと感慨にふける。工藤美代子は実に『嵐が丘』のキャサリン以上に姓の変わった人で、父は池田恒雄だから最初は池田、両親が離婚して母方の姓が工藤、それからチェコ人といっぺん結婚しているがこれは戸籍に入っていないから関係ないだろうが、その後鶴田欣也と結婚して鶴田先生は日本国籍だったから鶴田、それが離婚して加藤哲郎と結婚しているが、この様子では正式な結婚だろうから今の本姓は加藤のはずだ。
 別にそれで不都合はないのだが、鶴田先生は妻がいたのに工藤は推しかけちゃったわけで、そういう人がこういうところへ出てくるのは何とも不思議である。
 関東大震災朝鮮人虐殺の数を少なくしようとしている本も、不思議と「左翼」からあまり攻撃されていないような気がする。多分第一に女だから、あと岩波から本を出しているから。左翼は保守オンナに甘いのう。

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http://officeshyuwa.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/index.html
オタどんがリンクしているのだが直接リンクができないらしい。7日のところ。

もうひとつ書いておくと、鶴見俊輔はすでに亡くなっており、「日米交換船」でのインタビューや対談が一番最後の仕事だと思われるが、その本で鶴見が死去したと書かれていたから、2006年に亡くなったと記憶している。おそらく小谷野氏が書いていたときにおそらく亡くなったと思う。調べたらウィキーペディアでも今まだ亡くなったという記述はないから、小谷野氏はこれあたりを参照していたかもしれない。ウィキーみたいなものは、私が編纂していない項目は一切信用していない。

おいおい。工藤美代子って書きもらす、というほどの一族かいなー。てか私の立場で工藤美代子を忘れることはありえんのだが。

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『海のまつりごと』は、『群像』の鬼の編集長と言われた大久保房男が、慶大で折口信夫に学んだ民俗学について、小説の形で考えを述べたものだというが、小説としては、熊野出身の大学の友人に招かれて熊野へ行く話から、ずーっと戦後のその友人との関係が中心で、会話はほとんどその友人と行われており、単調。これで、60歳で藝術選奨新人賞をとっているが、おそらく編集者としての功績に対してのものだろう。
 その中で、その熊野の友人が「あいがなすきがな」という言葉を使い、作者の分身である東京出身(父は明治維新の功績で子爵になった人の庶子だとある)の主人公は意味が分からず、家で訊くと母が「間がな隙がな」ではないかと言う。それを聞いた友人は「幕間」を「まくあい」と読むのに「まくま」と読んでしまう人がいるように、本来は「あいがな」だったのが、「まがな」になったのだ、と言う。これいかに。
 (小谷野敦