おなじみの世界

 『週刊朝日』で永江が、副島と植草の本を評して「陰謀論はおもしろい」と書いていて、ああそうかと目からウロコが落ちた。なんでみんなあんなパッチもんに本気になるのかと思っていたのである。もちろん、CIAやらユダヤの陰謀やらというのは、私には、松本清張の『高校殺人事件』みたいに、明らかに最初から怪しいやつが犯人であったように、ちっとも面白くないのである。
 もっとも、往年の二時間ドラマ(今も?)のように、俳優によって犯人が最初から分かっている、というようなものが続いたのだから、庶民はそういう「お決まりのお話」が好きなのだろう。
 80年代演劇というのが、ある劇作家=演出家の作品を観て、面白いと思い、別の作品を観ると「何だ、同じだ」と思う、そういうものであったことは周知の事実だ。野田秀樹にせよ鴻上尚史にせよ、要するに代表作ひとつ観ればそれでいいのだ。野田なら「小指の思い出」、鴻上なら「朝日のような夕日をつれて」か。小説家には、時には生前から、また没後、一作だけが残るという人が多いが、彼らの場合たちまちにして同じことの繰り返しになる。ただ、次から次へと若い観客が参入してくるからもっている。大学みたいなものだ。
 それ以前の、唐十郎とかつかこうへいは、まだ持続力があった。むろん唐の場合も「おなじみの世界」になりがちだが、まあこれは私がこの世界が好きだということもあろう。つかの場合は90年代の「熱海殺人事件」新ヴァージョンが気を放っていた。
 しかし、それ以後の劇作家も、どうも「二作目を観ると…」であって、平田オリザもそうだし(しかし平田の場合、どれが代表作ともいえない。どれでも似たようなものだ)、岡田利規も「三月の5日間」は感心したが、そのあとはやはり同じようなものだ。
 若いころは演劇評論家になろうとしていた私で、30代はまだせっせと劇場へ通っていたが、行かなくなったのはまあロビー禁煙がほとんどになったからだが、そうでなくても、この現状ではいずれ行かなくなっただろう。
 本谷有希子が『幸せ最高ありがとうマジで!』で岸田戯曲賞をとったので、DVDを取り寄せて観てみたら、結局いつもの本谷の世界で、すぐにネタが割れて、憂鬱になった。
 私はエドワード・オルビーで最初の卒論を書いたのだが、オルビーも『ヴァージニア・ウルフ』で頂点を極めて、あとはダメだった。演劇というのは、客の期待を裏切れないから、こうなるのかなあ。