中上健次の錯乱

 『新日本文学』という、ほとんど目立たないけれど地道に左翼言説を産出し続けている雑誌がある。その1989年5月号には、黒古一夫の「<路地>の迷走‐中上健次の錯乱」というのが載っている。村上春樹村上龍などを論じつつ、中上を論じることのない黒古の、珍しい中上論だが、表題から分かるとおり、昭和天皇が死ぬ前後、中上が「天皇主義者」になったことを難じる内容である。
 確かにあの時期の中上は変であり、岡野弘彦江藤淳と対談して、柄谷包囲網をやるとか、天皇崩御されたら挽歌を詠むとか言っていたのだが、ほどなく正気に返っている。
 黒古の論は、しかし、中上に、網野善彦の論が影響を与えていることに説き及んでいないなど、あまり十全なものとは言えない。それに、この中上批判には、裏があって、かつて中上が「反核アピール」を批判し、林京子を「原爆ファシスト」と呼んだことへの報復的意味あいが明らかにあって、黒古が引用している、高橋三千綱津島佑子らとの座談会でも中上は、林の「ぎやまんびいどろ」を批判しているのである。黒古は「おのれ中上」と手ぐすね引いて待っていたとしか思えないのである。
 それに私は、なるほど、天皇制を認める者は許さん、と言う人々がいることは、それなりに健全なことだと思うが、それなら「島田雅彦の錯乱」「井上ひさしの錯乱」というのも書かなければいけないのではないか。