信多純一氏の八犬伝論

 長谷川三千子先生は、『民主主義とは何なのか』(文春新書、2001)で、ジョン・ロックを「ペテン師」と呼んでいる。読んだ時は驚いて、岩波文庫の『市民政府論』は後半しかないので、前半まで確認したことがある。
 これに対して「ロッキアン」とか「ロッカー」(?)とかいうような人たちは反撥しなかったのだろうか。まあ多分しているのだろう。
 いったいなんで、マックス・ヴェーバーなどという昔の他国の人を「崇拝」するのか私にはさっぱり分からない。もっとも、現在生きている日本の人であっても、私には個人崇拝をしない、という癖がある。ただ、若い頃はずいぶん西部先生あたりに傾倒したものだが、30過ぎる頃から、人間はしょせん人間である、と達観するようになって、誰も崇拝はしていない。

 さて、信多純一先生が、『文学』で服部仁氏の批判に答えているが、何やら、自著『馬琴の大夢 里見八犬伝の世界』がちっとも話題になっていないことに苛立っているらしく、『復興する八犬伝』にまでからんでいる。
 だが、信多先生の八犬伝論は、まあ個別には耳を傾けるべき点もあるとはいえ、これで『八犬伝』の「隠微」を解いた、というようなものではない。
 『八犬伝』については、馬琴が「隠微」つまり謎がある、と自分で書いたために、わしこそその謎を解いた、と言う人が数人いて、もちろん一人は高田衛先生で、これはその道教的な基盤を指摘した点ではなかなかいいところまで行っているのだが、伏姫が文殊菩薩だというのは、どうかなあ。はっきり「観世音菩薩の化現」と書いてあるわけだし。
 その高田と論争をした徳田武は、徳川幕府の滅亡を予言した、という。これもまあ、明治期の、馬琴尊皇家論の続きで、それ相応の妥当性はある。
 この二人に比べると、信多先生の論は、いかにも読本の素人の論なのである。信多の論の中核は、金碗大輔の前に役の行者が出現する場面の挿画が、『富士山の草子』の挿画一枚と似ている、というもので、しかしそんなに似ているか、というもので、いきなり、あの厖大な挿絵を含む『八犬伝』から一枚とりだして、これと似ていると言われたって、それは誰も相手にしないのが当然である。馬琴が『富士山の草子』を重視していたという文献的証拠がなければダメである。そのほかにも、日本の古典から、これと似ているあれと似ている、というのだが、馬琴の読本は、『日本書紀』以来の古典の数々、シナ典籍の数々を下敷きにしているから、似ているものが多数あるのは当然で、私も若い頃は、ああこれと似ているあれと似ている、と興奮したものだが、それだけじゃ論が成立しないのである。しかも信多先生は、近松が専門であって読本には素人だから、その辺が恐ろしく杜撰なのだ。
 『八犬伝』に関しては、恐らく近世専門の人は、濱田啓介板坂則子が沈黙している限り、これはダメだ、と思うだろう。
 馬琴は、安房の富山(とみさん)を「とやま」と読み替えている。信多はこれを、富士山信仰の証だというのだが、「とみさん」「とやま」「ふじさん」では、「とみさん」のほうが「ふじさん」に近いから、まるでダメなのである。
 馬琴の「隠微」論で最もコンシステントなのは、私の説である。神余ー金碗(かんあまり→かなまり)−八犬士が皇室の、里見氏を徳川氏のメタファーとし、安房を日本のメトニミーとしたというものだ。信多の論は、私の説を補強する結果になっている。ただ近世の専門家として、比較文学者の説なぞとりあげるわけにいかないから、無視されている。それを思うと、私の説もとりあげる高田衛のほうがよほど偉いのである。
 ただ私としては、この件はまあ、論文を出しただけで良しとしている。服部仁は、信多が真っ向から自説を批判されたら怒り狂うのが分かっていて、ちょこっと疑問を呈してみただけだろう。いずれにせよ、私の説に対する態度をはっきりさせないと、信多の八犬伝論は意味を持たないだろう。

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 教育テレビの「知るを楽しむ」にやなせたかしが出ていた。私はやなせの隠れファンである。アンパンマンの歌はやなせの詩だがすばらしい。
 ここでもやなせは実にかっこよかった。漫画家協会理事長として賞を授与する時に、自作の賞賛の歌を歌い上げる。手塚治虫と共同で仕事をした時の話をして「手塚君は」と言う、ってそりゃ年上なんだから当然だが。あと爆笑したのは、有名人が数人混じった集合写真のキャプションで「二人おいて誰それ」となって、間の有名でない人は飛ばされる、という話。これは私も薄々、飛ばされる人を気の毒に思っていたが、あれは、誰だか分からないこともあるが、分かっていて飛ばされたらそりゃ気の毒だ。

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 阿部公彦、また著書を出したのかあ。しかし、著書など出さないのが本物の学者だ、みたいな東大とか英文学界の風潮の中で四冊も出したことは、内容の如何を問わず、よいことである。

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田中夫人は、真相は分からない、という結論に達したようだが、丸山尚士がまたバカな反論をしてきている。
http://www.shochian.com/blog/index.php?itemid=1590
 匿名でないというなら、「t-maru」でなくて「丸山尚士」と書けばいいではないか。なぜそれができないのか、不思議である。
 それに、麻生に言い分があるというなら、それをその場で、というかその広大なサイトのどこでもいいから書けばいいではないか。書かないのは、事実だからだろうが、このバカ。名誉毀損でも何でもやっておくれ。死者の名誉毀損といえど、事実と違えば成立するからね。ただし私は羽入著を紹介しているだけで、その私を訴えたら不当提訴で反訴することになるがね。もっとも丸山のこの文章だけで名誉毀損で訴えることはできる。ジャストシステムが勤務先だから送達は効力を持つだろう。実家の住所も分かるしね。

卒論のテーマなど、教師が何を言おうと、書きたいものを書けばいいのである。私は少なくともそうした。教師に何か言われてしまってあきらめるような人は、そもそも学問には向いていない。

 相変わらずバカだな。こういうのを「語るに落ちる」というのだよ丸山。麻生が羽入に圧力をかけた、という前提でお前はこの文章を書いているではないか。しかも、その上で言えば、丸山は卒業して就職したのだから、卒論が何であろうと構わないが、羽入は院へ行こうと思っていたからこんなことになったのではないか。大学院へも行っていない者が何を言うか。私の当時だって、英文科を出て就職した奴は、ロバート・B・パーカーで卒論を書いて、英文科始まって以来だと言われたが、それだって院へ行かないから許されたのである。

http://news.before-and-afterimages.jp/index.html#

 田中氏も田中氏である。真偽は確認しないが、信用しないというのは「卑怯」ではないか。鍛冶哲郎は麻生の仲間だから、本当のことを言うはずがない。訊くなら恒川先生に訊くべきではないか。なぜあの当時、87年に三島憲一、90年に恒川隆男と、東大を辞める人が多かったのか。
 田中氏の記述には「詮索すると本当のことが明るみに出るから、しないようにしよう」という態度が丸見えである。
 なお羽入著には、ドイツ科のある女子学生が院へ行こうとしたら、博士課程へ行かないという条件づきなら入れてやると言われた、という話が載っている。これがたまたま女子学生だった、というならいいが、ドイツ科には、女は学者にしない、という因習でもあったのか、と思わせる。
 現在、東大駒場のドイツ語には、女性教員はたった二人しかいない。英語が12人であることを思えば驚くべき少なさだ。しかもその二人とも、ドイツ科院(地域文化)の出身ではなく、つまり駒場生え抜きではないのである。しかも現在の一条麻美子は、88年に27歳の若さで講師になったのだが、当時岡本麻美子といい、93年頃、先任教員のいじめに遭って体調を崩したという話も私は聞いているのだ。そう言えば、田中らは、証拠はあるのか、誰が言った、と言うだろうが、さて、「ドイツ科って問題あるでしょ」というのが、私にはまるっきりのウソとは思えないのである。
 ついでに言うが、東大の国文科は、本郷でも駒場でも女性教員を採用したことがない。英文、仏文、独文は、駒場はともかく本郷で文学専攻の女性を採ったことがない。まあ、おかしなフェミニズム批評(非学問)をやるやつを採りたくないというのは分かるが、別にちゃんとした女性学者だっているはずだ。東大は「男女共同参画」などと言いつつ、こういう研究室を放置しているのだから、笑わせる。

 (小谷野敦