井上靖的あり方

 柴本幸を美人じゃないと前に書いたが、撤回する。何か独特の気高さと、マゾの気のある人間には堪えられない冷たさが出ている。まああれで現代ドラマに出るとどうなるのか、分からないが。
 さて原作は井上靖である。玄人筋の評価は低い。しかし、死後もちゃんと読まれ続けている。一般に、玄人筋では、井上は、初期の「猟銃」なんかは良かったが、大岡昇平による「蒼き狼」批判以降、その歴史小説は「ダメ」だということになっていて、晩年の『孔子』なんか、野間文芸賞はとっているが、褒める人がほとんどいない。
 しかし、『孔子』はともかく、井上は、河野多恵子がいう「広義の才能」に多分に恵まれた人だったのではないかと思われる。『しろばんば』などの自伝的作品はうまいし、歴史小説でも、「風濤」「楼蘭」「敦煌」「淀どの日記」など、妙に短い。吉川英治海音寺潮五郎司馬遼太郎の作品が、時には十巻を超えることもあるのに比べたら、みな一冊で終っている。読者は、読んで、何だか詩的な感じを受ける。辻邦生も井上の衣鉢を継ぐ作家だろうが、あまり悪く言われない。しかし、死後16年で、まだこれだけ読まれているというのは、井上靖的な小説家のあり方というのは、存外侮れないのではないかと思う。これは後日詳しく考えよう。
 

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澤井繁男が、博士論文を京大イタリア文学から門前払いされた件について、もう事件そのものが98年、澤井が京大文学部長興膳宏宛公開書簡を『諸君!』に載せ、興膳が答え、澤井が反論したのが2000年で、古い話なのだが、今回改めて読み直してみて、不審に思った点がある。
 澤井は、今は関西大学教授だが、当時は在野で、大学の専任になれていないという不遇を訴えている。こういうところは、好感をもつ。ところが中に「専任の声も何度かかかりましたが、創作と研究の二つの道を全うするため断ってきました」という一文がある。なんだ、口はあったのではないか、と思う。もし、若い頃は作家として立つつもりで断ったが、年が行ってからは作家では食えないことが分かって、専任の口を求めるようになった、というなら、そう書くべきである。
 第二は、より重要な点だが、澤井の博士論文を読みもしないで門前払いしたイタリア文学教授の斎藤泰弘は、澤井が出そうとしている博士論文が、これまで刊行された著書を寄せ集めたもの、と誤解している。澤井は、これまで雑誌などに発表したものを纏める、と言っているのだ。これは、のちの興膳との議論でも問題になったところだ。しかし、思い違いが明らかであるなら、なぜ澤井はもう一度手紙を出してそれを正さなかったのか。
 なるほど、澤井と斎藤は、かつてはある程度仲が良かったらしいから、多分ある時点から仲が悪くなり、手紙の感触から、思い違いを正してもダメだろうと澤井が思ったのだろうと推察することはできる。
 だが、もし私が興膳なら、この点を突いただろう。相手が明らかに思い違いをしているのにそれを正そうともせず、そこで諦めるとは何ごとか、どうしても博士号が欲しいなら、再度手紙を出すべきではなかったか、と。
 もっとも、京大のイタリア文学がダメになっているのは明らかだ。かつての野上素一、清水純一、岩倉具忠に比べて、斎藤の、60歳を過ぎての業績の乏しさは、目を覆うばかりだ。これを、東京外大にいた河島英昭の仕事ぶりと比較したら、惨憺たるものというほかない。
付記:よく調べたら、岩倉もそう大したことはない。これなら平川先生のほうが業績がある。
小谷野敦