芥川賞選評

 コンビニで『文藝春秋』を立ち読み、芥川賞の選評を見る。受賞作をまったく評価していなかったのが、石原慎太郎村上龍。前回の受賞作を推した二人である。最近、この二人、意見があう。私も、石原とは、芥川賞に関しては、前々から同意見であることがほとんどだ。
 今回の受賞作だが、端的に言って、筒井康隆の亜流の亜流みたいなもので、筒井に直木賞をやらないで、こんなものに芥川賞をやるなんて、もう筒井さんも歳で怒る気力もないだろうが、ひどい侮辱だと思う。似たような話なら、筒井さんのほうがもっとずっと上手く書けるし、現に書いている。蓮實先生流に言えば、文学史への冒讀である。
 それに、十数年前に「おどるでく」で芥川賞をとった作家は、その後どうしたのか。今回の受賞作の宣伝を見ていると、「おどるでく」の時の既視感を激しく感じるのだが。
 (小谷野敦
http://d.hatena.ne.jp/rento/20070806

このくらいはまだ可愛いほうだが、ある本で、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』を紹介していながら、主人公のアッシェンバッハを作曲家として記述している箇所があって、唖然とした。その本はいまは版を重ねて誤りが直っているかもしれないから、書名は伏せることにするが。

おっ、大橋先生、仕返しに出ましたね。それは多分私の本。ただ、どれだか今確認できません。マーラーをモデルにしているわけだし、映画では作曲家なのだから、唖然とするほどの間違いではありません。なお原作は、日本語版と英訳で読みましたが、私はホモではないから、全然理解できないのですよ。いや、ゲイと言わないといけないのかな。
 ではさらに仕返しすると、『クラリッサの凌辱』の解説で、朝日新聞西部邁先生が『屋根裏の狂女』を書評して、女は抑圧されているからこんな素晴らしい小説が書ける、だから抑圧したほうがいいのだ、なんて、そんなこと書いてませんよ。抑圧されたところから来る想像力、と書いただけです。
 異性愛男性は女を欲するが女になろうとはしない、というのも間違い。谷崎潤一郎は、女になりたくて去勢手術をしてくれと若い頃言っています。では女装趣味はみな同性愛男性でしょうか? 事実ではないことは明らかですね。
 「怪談」くらいしか観る映画がなかったとおっしゃっていますが、ブラナーのオペラ映画「魔笛」に行かれればよろしかったのに。
 ところで大橋先生は、博士号はどちらでおとりで? いえもちろん、東大教授の英文学者ですから、私なぞの、東大なぞでとった博士号じゃありませんよ。ケンブリッジロンドン大学でしょうか。ああ、大橋先生なら、きっとイェールでしょうね。英文で刊行されているんでしょうか。何せ、学習院の教授という、給料もいいところから、降格人事で東大助教授になる大橋先生ですから、その辺はばっちりでしょうね。いえ、とってないなんて、そんな見えすいた嘘を…。英文学会の会長が博士号を持ってないなんて、今どきスキャンダルじゃないですか。
 ねえ、若い英文学者は、今や海外で博士号でもとらなけりゃ就職はおぼつかないから、『アメリカの大学院で成功する方法』なんてのが、駒場生協でもよく売れていますよ。それを、英文科の教授がとってないじゃあ、みな納まらないでしょう。え? 東大英文科では、博士号があるような人は採用しないのが伝統? そんなことないでしょう、阿部君はケンブリッジでとってるじゃないですか。え? 教授はとらなくていい? でも他の学科の教授の先生方は、国内で出していますよ。駒場には英文学で、海外で博士号とった人、たくさんいるんですけどね。大橋先生、あなた、どうして英文科の教授なんですか。