大衆文藝評判記2007

 平岡敏夫先生が昨年から怒っておられる。日本近代文学研究の泰斗といっても、過言ではない方だ。怒っているのは小林信彦の「うらなり」である。平岡先生はかねてから、「坊っちゃん」は佐幕派の物語だと主張している。これは、異論のないところだろう。江戸っ子の坊っちゃん会津山嵐松山藩のうらなりと、佐幕派が敗れる物語だというのだ。
 昨年「文学界」に載ってその後単行本になった小林信彦の「うらなり」は、昭和九年、銀座でうらなりこと古賀と山嵐こと堀田が再会する場面から始まって、うらなりの一人称で回想式に語られる小説だ。そして、うらなりにとって坊っちゃんは、よく分からない男だったとされ、「五分刈り」と呼ばれている。平岡先生は、昨年出された詩集『明治』の中で、こういう「坊っちゃん」の見方に怒りを示しておられたが、『群馬県立女子大学 国文学研究』の今年度号に書かれた「うらなりの声」というご論文の抜き刷りを送ってくださった。
 「忠臣蔵偏痴気論」があるように、「坊っちゃん偏痴気論」があってもいいし、『ジェイン・エア』を『広い藻の海』のようにバーサの視点から描き直すものもある。もっとも、ポスコロの世界でもてはやされた『広い藻の海』(最初の邦訳はこの題で、『サルガッソーの広い海』の題で新訳が出ている)はちっとも面白くない。二種類も邦訳があるのが不思議である。同じように、「うらなり」もちっとも面白くない。面白くない上に、下手である。
 冒頭から、作者は、昭和九年の風俗をうまく取り入れようとしている。それが、いかにも浮いて見える。新宿というところに行ってみよう、などという台詞、中村屋ではライスカリーというらしい、といった台詞が、いかにもわざとらしく、「昭和九年ですよ、調べたんですよ」という作者の衒いが激しい。「士官学校時代と同じガルマでいい」みたいな、いかにも説明的な台詞や描写が多い。
 それから後のうらなりの内心についても、「坊っちゃん」を読んで想像するものとさして違わず、何の驚きもない。ただ、なぞっているだけだ。途中でうらなりが、もてる、もてないという俗語の出所は知らないが、自分は女にもてなかった、と言い、女給に反論される場面がある。しかし、もてるもてないというのは、昭和初年なら、紛れもなく藝者か女給相手に使う言葉である。もともと遊里言葉である。素人女相手に使うものではない。
 あるいは、大正十五年暮れに「大正天皇が死去」したとあるのだが、語りはうらなりである。そうドライに「大正天皇」などと言うだろうか。「陛下がおかくれになって」あたりが穏当だろう。
 またうらなりの語りに、「第一次世界大戦で」などとある。昭和九年、第二次世界大戦も始まっていないのに「第一次世界大戦」もすさまじい。それから最後に、神戸の山手にある広東ホテルで、うらなりが人妻になったマドンナと会う場面がある。「広東ホテル」というのは架空のものだろうが、別れたうらなりが「神戸駅」に向かう。山手なら、三ノ宮駅だろう。
 だいたい、小林信彦という人は、小説家でもあるのだろうが、うまいと思ったことがない。といっても、読んだのは『オヨヨ島の冒険』と『極東セレナーデ』だけである。『唐獅子株式会社』とか読まねばいかんのだろうが、『極東セレナーデ』など、尻切れとんぼで終わっている。しかし、どういうわけか世には小林ファンというのがいて、ある時ある編集者に、小林信彦は面白いのかと訊いてみたことがある。すると、エッセイが面白いのだという。なるほど、映画評論とか藝能評論とかが本領なのだろう。「うらなり」が菊池寛賞をとったのは、実は小林が、名高いわりに今まで小説で賞をとったことがないから、というのもあろう。しかしそれも、やはり小説が下手だからではないかと、「うらなり」を読んで改めて思った。平岡先生は、新聞記者が妙に「うらなり」を褒めていることを指摘しているが、まあ、文壇ー新聞文化部政治的に、褒めるべき時期だったということもあろう。
(追記)
 『うらなり』の単行本を見てきたが、小説としては異例に長いあとがきめいたものがついている。そこに、『坊つちやん』の舞台は「四国辺の中学校」とあって、松山とは書いていないが、初稿では確か「中国辺」とあってそれを直した、とある。これは確認していないが、小林は、要するに「異国的」な都市ということだろう、と書いている。
 ちらりとある疑念が頭をよぎったのだが、まさか、と思っていたが、「異国的」というのが、どうも気になる。まさか・・・まさか小林はこの「中国」をシナのことだと思っているのではあるまいな。いや、いくらバカでも、そんなことはありえまい・・・。

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前から気になっていたのだが、井上ひさしの『吉里吉里人』に、独立運動をしている世界各地の地域の名が列挙される箇所があり、そこに、「南アフリカから独立した黒人国ベンダ」「・・・トランスカイ」「・・・ボフタツワナ」の三つがあがっている(二十七章)。最後は初版で「ボツワナ」となっていた。しかしこの三つは、アパルトヘイト政策の一環として南アフリカ共和国が隔離のためのホームランドとして勝手に独立させ、自国のみが承認していたもので、まるで黒人自身が独立国を作ったかのように書くのは大変な認識不足である。この箇所は、現行の新潮文庫版でも直っていない。 (小谷野敦