堪忍袋

 「堪忍袋」という落語がある。明治末年に益田太郎冠者が作った新作である。喧嘩ばかりしている長屋の夫婦が、大家の助言で「堪忍袋」を作り、言いたいことは袋の中へ吹き込むが、中が一杯になって吹き込まれていた悪口が一斉に飛び出してくるというサゲで、「王様の耳はロバの耳」から発想したSF風のものだ。太郎冠者にはほかに「かんしゃく」という中産階級のがみがみ夫に苦しむ妻を描いた落語もあり、大正六年、浅草オペラの東京歌劇座が上演した佐々紅華作のミュージカル「カフェーの夜」の劇中歌「コロッケーの歌」の作詞もある。「コロッケーの歌」は、毎晩女房がコロッケばかり作るので困るという歌で、当時独立してヒットした。太郎冠者は夫婦不仲ものが得意のようだ。財閥の鈍翁益田孝の子である。
 この「堪忍袋」を得意としたのが、先代の三遊亭金馬である。あとは八代目柳枝もやった。最近では先代小さんもやったようだが、これは聴いたことがない。さて、柳枝のほうを聴くと、どうも金馬のそれには、とうてい今では口演できないような箇所がある。これが金馬のオリジナルなのか、太郎冠者の原作にあったのかは、今後調べるが、悪口を言い合う中で女房が、二人の馴れ初めを語るのだが、「あたしが御殿奉公していた時にあんたは出入りの職人でさ、一人もんだからかわいそうだと思って弁当なんかこさえてやったら変に勘違いしやがって」と来る。「あたしを連れ出して俺と一緒に逃げてくれって。うちはおとっつぉんとおっかさんがやかましいから、相談させてくれ、って言ったら、やかましいおとっつぉんとおっかさんに相談しても、くれる気遣いない。連れて逃げてしまえばできたと思って安心しているから、うんと言え、ってあたしの喉に鑿を当ててさ、うんと言え、うんと言えってスケベったらしい目であたしを見てさ、うんだろ? うんだろ? って」「やかましい!」
 ひどく濃厚かつ野蛮である。これじゃあ「オペラ座の怪人」である。今じゃあ口演できないだろう。まあ、快楽亭ブラックあたりが改作したらもっとえぐくなりそうだが・・・。「気遣い」という言葉はこういう風に使うのか、とも思った。
 ところで、「八世松本幸四郎」のような言い方はおかしいと延広眞治先生がおっしゃっていて、「八代目」が本当だという。確かに六代目菊五郎は「六代目」であって「六世」ではない。早稲田で坪内逍遥の教えを受けた連中が「リチャード三世」とかから連想して、こういう言い方を始めたのではないかというのが延広説(但し発表していない)。