もうウィキペディアは編集しない

以下の人名をあてよ。
A 文藝学科卒論として書いた小説を刊行し、(前)女子大生作家として華麗にデビュー(デヴューなんて書いてる頭の悪い女性作家は誰ですか)、作品は桃井かおり主演で映画化されるが、その後が続かず、十年ほど前上下二巻の大作を発表するも誰からも相手にされず。地方では活躍しているらしい。「頼山陽にピアス」というエッセイ集を出したことを知る人は少ない。
B 女子高生作家として文藝賞を受賞、一躍時の人になり、作品は富田靖子主演で映画化され、ねじめ正一は何をとち狂ったか「志があって頭がいい」唯一の作家だと評していたが、その後は怖いくらい「普通」の恋愛小説を割に精力的に書いていたが、出産後は育児、家庭論のエッセイに転向。
C 文学界新人賞をとり、芥川賞候補になりながら落選したが、割に美人だったので口絵に作者近影入りの単行本を刊行、一部で話題になるが、以後まるで続かず。
D 文藝賞受賞、ちょっと有名だった映画監督の娘で、ちょっと美人だったのでちょっと騒がれたが、後はぼちぼち。数年前、選挙に出て落選。
E 新潮新人賞を受賞しただけで、単行本もないのに、美人なので朝日新聞の「メディア時評」を担当。長野県の某市に住んでいるのが自分のペンネームの由来だなどと書いて顰蹙を買っていた。結局単行本一冊も出ず。
F 筑波大出身で海燕新人賞から芥川賞を受賞。その後ファンタジー作家になるが、そう売れてはいない。

                                                                  • -

平野謙は、私小説濫觴となったのは、「蒲団」ではなく、近松秋江の「疑惑」と木村荘太の「牽引」(大正二年七月)だと書いている(「藝術と実生活」)。しかし、この「牽引」が見つからない。木村は谷崎潤一郎らと第二次『新思潮』を出した、牛肉屋いろはの息子だが、父は数多くの支店をそれぞれ妾に任せていた。「牽引」は、荘太が「青鞜」で伊藤野枝の文章を読んで感激して恋文を出し、遂に会うが、野枝は自分が辻潤と同棲していることが言えず、のぼせ上がった荘太が次々と恋文を送りつけ、仕方なく野枝が辻と弁明に行くという事件を描いたもので、「生活」という同人雑誌に載った。また野枝は同じ事件を「青鞜」に書き、こちらは野枝全集に入っている。荘太は昭和25年、自伝「魔の宴」にこのことを書いているが、現物がない、と言っている。実際、「生活」はどこの図書館にも見つからない(博文館から出ていた雑誌ではない。あんなメジャーなものではない)。平野が「牽引」について書いたのは昭和27年で、「魔の宴」を読んで、現物を見ないで書いたのではないかと思われる。どなたか、「牽引」の現物を持っているという方はご一報を。
(後記)教えてくれる方があって、近代美術館で「牽引」は発見した。