歌舞伎雑談

永山武臣氏が亡くなった。私が高校時代に歌舞伎を見始めた頃から、筋書きで「ご挨拶」を書いていたのは永山氏だっただけに、感慨を禁じ得ない。「國文學」の歌舞伎特集を見ると、松竹の専務取締役・安孫子正が執筆しており、来月から「ご挨拶」は安孫子氏が書くのだろうかと思う。
しかし、永山氏の不在は歌舞伎にとって一つの打撃である。中村信二郎錦之助襲名が発表されたが、これは永山氏の案だろう。確かに勘三郎の活躍、海老藏、菊之助松緑獅童など若手は育っている。だが、演目については考え直すべきで、「寺子屋」や「熊谷陣屋」「身替座禅」ばかり見せられると飽きる。特に、安易に笑いがとれる「身替座禅」は、まるで平成の独参湯のようだ。
中でも困るのは市村羽左衛門の襲名である。ナニ羽左がいなくてもいいのだが、いずれ襲名問題は起きる。先代の長男坂東彦三郎の襲名が妥当だが、あまりに大根だ。次男市村萬次郎も同じく。橘屋なら、松嶋屋から出た吉五郎と家橘がいるが、いずれも羽左を継ぐほどの名手とは言い難い。
いちばんいいのは、進境著しい中村橋之助が羽左を継ぐことだが、これは難しい。団十郎家に後継がないので幸四郎家から十一代目が出たことはあるが、彦三郎をさしおいて他家から入るのは、最近では前例がない。とはいえ、橋之助が羽左を継いでくれたら、市村座座元の名も傷つかずに済むし、だいたい先代にしてからが坂東家から継いだのであって、本来の市村家の人ではない。橋之助羽左衛門襲名、考えてほしいものだ。

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ところでさっき触れた「國文學」で、「鳥辺山心中」を佐伯順子さんが論じているが、例によって大正期の廃娼論の中で、お染は情人以外に身を任せないふしぎな女郎に設定されている、というのはいいが、どこを見ても作者たる岡本綺堂の名が出てこないのはひどいだろう。