ある種の愚かさについて

 『ノルウェイの森』がベストセラーになったから自分は攻撃されるようになったと村上春樹が言っていると目にしたような気がするが、まあそれはそうだろう。『失楽園』がベストセラーになってから、渡辺淳一をバカにしてもいいという空気が醸成されて、渡辺がエロティックな小説を出して売れるたんびにそれが増幅されていく。
 『失楽園』は私は少ししか読んでいないし、あとのは全然読んでいない。もちろん渡辺にはそれ以前に伝記小説のいいものなどたくさんあるが、『野わき』などから、中年男と若い女の性愛を描く傾向はあった。だから『野わき』当時渡辺を批判していた人はいいのだが、もはや現在、これほど「渡辺淳一はバカにしてもいい」という空気が支配している中でせっせと渡辺淳一をバカにしようとするのは、ある種の愚かさなのである。
 それは『失楽園』やら『愛の流刑地』がいいかどうかとは関係なく、「××をバカにしてもいい」という空気が充満している時に××をバカにするというのは、愚かなのである。たとえば××に「自民党」を入れてもいい。
 山本七平の『空気の研究』は、それが日本特有の現象のように言うが、そんな「空気の支配」はどの国にだってあるはずのものだ。
 その「空気」に逆らうことを知らない愚か者は、ウィキペディアで渡辺を「日本のポルノ作家」と編集してみたり、なぜ作風が変わったのかなどと、ほとんど渡辺を読んだこともないのに質問してみたりするのである。そういう空気に身を任せる者は、いじめに加担する者に容易に転化するのである。

かねてから『ノルウェイの森』に出てくるレズビアン少女の描き方を批判していた渡辺みえこさんの新しい春樹批判本。

語り得ぬもの:村上春樹の女性(レズビアン)表象

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