逃げたな、中島岳志

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 ついに一ヶ月。中島岳志は私の批判には一切答える気はないようだ。『SAPIO』では小林よしのりが第二弾の攻撃をしているし、『パール判事』については中島の完敗というところだな。しかしまあ、『ランティエ』に載せた私の文章を再掲しておこう。掲載時に紙幅の関係で少し削ったので、そこは復元されている。

 安倍晋三総理が、インドのパル判事の遺族を訪ねたというニュースが流れた時は、やれやれ、またパル判事かと思ったものだ。東京裁判でただ一人、A級戦犯全員の無罪判決を出し、戦勝国が敗戦国を裁くこと、事後立法遡及の法的不備を指摘し、西洋諸国の植民地主義をも批判した人だ。まあ、総理としては、靖国神社へのA級戦犯合祀の件でのシナ、韓国への牽制というところか、と思っていたら、中島岳志の『パール判事』(白水社)という本が出た。中島は若手の、「新進気鋭」の学者で、専らインドを専門とする北大准教授だ。昨年から、月一回、毎日新聞で対談を連載している。四月には西部邁先生がゲストだったので、ちょっと驚くとともに、政治的に対立する相手とは話もしない、というよくいるバカ左翼ではないのかな、と思っていただけに、この本には失望した。
 本書で中島は、パルは絶対平和主義者で、世界連邦の実現を目指していた、日本の侵略行為の同義的責任をも認めていたといったことを述べ、パル判決を利用して「大東亜戦争肯定論」を展開する近年の右派論者を責めている。しかし、最大の欠陥は、近年、そういう主張をしているのが誰であるか、ほとんど分からないことだ。私も政治論争的な本を書いたことがあるが、誰が何を言い、そのどこが違っているか、明確に書いている。学者なのだから当然のことだ。それを明示しない中島のやり方は、学者失格だと言わざるをえない。取り上げているのは小林よしのりだけで、「近年の右派論客」とは小林一人なのか、と苦笑せざるをえない。第二に「大東亜戦争肯定論」の定義が不明なことだ。これは、一般には林房雄の著書の題名だが、林は、東亜解放戦争になるはずだったものが、不幸にしてアジア相戦うことになった、と書いているのだ。中島は、右派論客はパル判決文すらちゃんと読んでいないと述べているが、中島は林著を読んだのか。私の知る限り、日本のシナとの戦争は侵略戦争ではないと述べている人はいるにはいるが、少数派である。小林は既に『sapio』の連載で、パルが、日本は平和憲法を守るべきだなどと言っていないことを突いて中島の「ペテン」を批判している。小林の『戦争論』を私は、アメリカ善玉史観の見直しとして評価した。もう一つ、中島が攻撃しているのは、パル判決を日本に紹介した田中正明(故人)の、一九五〇、六〇年代の著書で、細かなところを突いているが、田中著にも、パルが平和主義者であったこと等、中島が力説するようなことは書いてあるのだ。
 パル判決は、「大東亜戦争肯定論」ではなくて、「A級戦犯無罪論」、少なくとも、その靖国合祀にシナ、韓国からあれこれ言われる筋合いはないという議論に「利用」されていると言うべきだろう。中島は同書で、パルはBC級戦犯の戦争犯罪については無罪だとは言っていないと述べるが、それではますます、右派の主張(とやら)に都合がいいではないか。中島は、東條英機を主人公とした『プライド』も批判するが、あの映画では、天皇を戦犯にしないために証言を変えるよう要請されて東條が苦悩する場面がある。私はむしろあの映画は、天皇を免罪にする操作が行われたことを描いていて、「左翼」も評価できるものだと思っている。いずれにせよ、中島著は、ただの論争のための本であって、学問的に新しいものは何もないに等しい。まだ三十二歳の学者が、こういう本でもてはやされるのは、憂うべきことだと思う。

ただ小林は、マスコミがこの本を絶賛している、と書いているが、私の見る限りでは、バカ丸出しで絶賛していたのは原武史くらいで、御厨貴井上章一も、とりあえず取り上げてみました、という感じだった。特に御厨が、最後にヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』に触れていたのは、暗に、パールだけじゃないよ、と言って中島を批判したのだと思う。それと、中島が、右も左もパール判事に萌える、と言っているのは、小林の言うように、自分は真ん中だという意味ではなくて、自分もパール判事に萌えてしまったバカ左翼でした、ごめんなさいという意味だと思う。
 まあ中島君、キワモノ本を書いてしまったことを反省して一から出直すんだね。
 (小谷野敦