2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

節子の恋(11)

昭和七年、長谷川が釈放されて戻ってきた。ところが、プレッシングの店で働きたいと言ってきた二十一歳の娘と長谷川はたちまちできてしまい、嵐が吹き荒れた。節子は三十九歳になっていた。 翌年、節子は長谷川とともに上京したらしい。鈴木安蔵と結婚して鈴…

節子の恋(10)藤村「新生」リミックス

だが節子を案じた岸本は、『良婦の友』四月号に「樹木の言葉」を載せた。これは、棕櫚と躑躅の会話の形式をとっているが、棕櫚が岸本、躑躅が節子である。 躑躅 単調で無変化な日が続いた。私はこの灰色な世界に耐えられなくなった。私の葉の多くは赤ちゃけ…

節子の恋(9)

だが、それから二年した大正十一年の三月半ば、節子は禁を破って岸本に手紙を書いた。 「その後のご無沙汰をお許しください。あれからもはや長い月日がたちますもの。相変わらずお仕事の方においそがしいことと思います。私もよく~でなければ、こんな手紙は…

節子の恋(8)

民助がやってきた。鷹揚な態度で、長兄らしくことをまとめようとし、岸本を訪ねたり、義雄と話したりして、この二人の弟の義絶を解いて和解させてから節子を台湾へ連れて行こうと考えた。 ところが、民助としては、岸本が心の中で節子を思っていても、実事が…

節子の恋(7)

岸本はとうとう「朝日新聞」に「新生」の連載を始めた。大正七年五月一日に始まり、「節子は自分が母になったことを告げた」という一節が出たのは五月十八日のことだった。節子は毎日、新聞を買いに走った。そして岸本の小説を広げて読んだから、まっさきに…

節子の恋(6)島崎藤村「新生」リミックス

ある日、節子は病院へ行くと言って家を出てから愛宕下の方へ岸本を訪ねた。幾晩となく碌に休まないという看護の疲労や、母の病気の心配や、それらのものに抵抗しようとして気を張っていなければならない境遇から遁れて、ほんの僅かの息を吐く時を岸本の側へ…

節子の恋(5)

約束の日に節子は岸本を訪ねた。 節子はウラジオストクの方から近く帰国するという報せのあった姉夫婦の噂なぞをした後で、 「どうしてそんなに人の顔を見ていらっしゃるんです」 と岸本に訊いた。 岸本は火鉢の方へ節子を誘って、熱い茶を彼女に勧め、自分…

節子の恋(4)島崎藤村「新生」リミックス

引き続いて、岸本宛にこんな手紙も出した。三年前に岸本がフランスへ向けて発った三月二十五日が近づいていた。 「先日はおいそがしいところを失礼いたしました。もうお仕事もお済みになりましたか。先日はまだかと思いましたのでお伺い致すのをやめにしよう…

節子の恋(3)

岸本は自分の二階の方で節子と二人になった時、こう彼女に言った。 「私たちの関係は肉の苦しみから出発したようなものだが、どうかしてこれを生かしたいと思うね」 この言葉に節子は喜んで、 「私だって叔父さんについて行けれると思いますわ――何でも教えて…

節子の恋(2)

節子は本所の原庭町の、親子して産婆をしている家の二階に起居し、九月三日に男児を出産した。だが子供は節子がろくに顔も見ないうちに女医が抱いていってしまい、亀戸の先の平井町というところの工場経営者に貰われていった。坊さんが親夫という名前をつけ…

節子の恋(1)島崎藤村「新生」リミックス

廊下がぎしりと鳴った。 (叔父さん) と、節子は思った。 果たして、叔父の岸本が障子を開けた。 「何だか寂しくってね」 岸本は座って、新生に火をつけた。節子は煙草盆を持ってきた。 本格的に秋になってきていた。岸本は二年前に妻を失ってやもめ暮らし…

大岡信の戦い

前に書いた気がするのだが、私が国際日本文化研究センターの井波律子先生の研究会に出ていた時か、新聞記者の女性が、なぜ日本の新聞には短歌・俳句欄があるのかという発表をしていて、その女性は、大岡信に電話して訊いてみたら、大岡が怒声を発し、「私は…

三人の佐伯順子

武田頼政の『ガチンコ さらば若乃花』(講談社、2000)を読んでいたら最後のほうに「佐伯順子」という名前が出てきてぎょっとした。これはあの同志社の人とは同名異人で、98年に死去した人で、藤島部屋とも武田とも親しく、大阪弁で豪快にしゃべるおばあさん…