2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

http://1000ya.isis.ne.jp/1483.html またやってくれたぜ松岡正剛。「サリンジャー(465夜)の『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールディングが図書館員からまちがって」 それは「ホールデン・コールフィールド」だ。毎度いうことだが、間違うのはいい…

七月十五日の『公明新聞』にゆりはじめ氏が『川端康成伝』の書評を書いてくださった。活字でのものはこれが初。中で、川端が昭和二十年四月に鹿屋の特攻隊へ報道班員として行った時に知った杉山幸照・特攻隊員の文章を教えられ、さっそく取り寄せた。杉山幸…

『周五郎伝』つづき。 205p、実業之日本社と文化出版局から同時に、山周の未刊行小説集が出たのを「符節を合わせたかのごとく」としているが「歩調を合わせた」か何かの間違い。 209-10p、池谷信三郎の紹介が余分。いわんや、池谷の文章を引用してケチをつ…

齋藤慎爾『周五郎伝』を読んでいるのだが、この伝記は余計なところが多い。たとえば、吉本隆明と柄谷行人の対談が引用されているのだが、もちろん山本周五郎について語っているわけではなく、吉本の崇拝者である齋藤が、山本もこうではなかったかという論の…

川端康成「詩と散文」

大正十年(一九二一)六月二十三日から二十五日の三日間、追分の帝国大学キリスト教青年会館で演劇が催された。中心となったのは清野暢一郎(一八九六‐一九七六)で、俳優としては北村喜八(一八九八‐一九六〇)に、まだ無名の岡田嘉子(一九〇二‐九二)が参…

今日のできごと

雨ですね。午後三時ころ、ツイッターで話しかけてきた謎の人間と推定される者がいた。メルセデスとアルファベットで書いてあり、アクサンテギュとグラーヴがちゃんとついていた。その後鍵をかけてしまったので、記憶で再現する。 メ「高卒の彼について相談し…

どうも「東大教授」というものは誤解されていて、ドイツ文学者で東大教授なら独文科教授だ、などと考える人が多いのだが、実際は戦後は教養学部というのがあって、そちらの教授のほうが多いので、そっちにいる確率も高い。各研究室が、きちんと歴史と過去の…

最初に「結婚」した時に妻は42歳だったが知らなかったのか先輩が年賀状に「小谷野君がパパになるのを楽しみにしています」と書いてきた人がいて、へえ東大卒のリベラルっぽい人も無神経なことを書くもんだなあと思った。まあ何歳であろうと、結婚したら子供…

新刊です

川端康成伝 双面の人 [ 小谷野敦 ]ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 文学 > その他ショップ: 楽天ブックス価格: 3,240円訂正 13p「羽鳥一英」かずひで、とありますが、かずえい、だそうです。 17p「湯河原や軽井沢」→「湯ヶ島や軽…

祭りと柳田國男

私が大学生のころ、越谷市の商店街で夏祭りがあって、遊びに来た後藤と一緒に出かけたことがあった。しかし大変な人ごみで、暑いし、帰ってきてぶつぶつ言っていると、母が、私は祭とか好きなんだと思っていた、と言ったのである。いや全然、と答えたのだが…

政治をよくするためには、政治家は質問に答えなければいけないという制度を作るということを考えた。だが、誰でも質問できるわけではない。質問者の資格試験に通らなければいけない。もっとも、答えてものらりくらりと逃げをうつやつはいるだろうから、その…

澁谷知美の分厚い博士論文に「男は自分の性的体験を語らない。例外的にホモソーシャルな場では饒舌に語る」(大意)とあったのだが、とても一般的事実とは思えないのである。「童貞放浪記」みたいな私小説にはそんなのいくらもあるが、それは「語る」には入…

田中継根という人

源氏鶏太の『見事な娘』講談社文庫の年譜を見ていたら、1945年1月、長男継根が生まれるとあり、本姓は田中だから田中継根で、東大比較の先輩であることに気づいた。田中継根(1945年1月−2009年11月) 源氏鶏太長男として大阪市東淀川区に生まれる。麻布高校…

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130710/p1 「ウルトラセブンには「わたしはだあれ?」という回があるらしく」 それは「あなたはだあれ?」だ。お前は俺か。

飲み水と死体

先日、宝塚の貯水槽にゴムボートが浮いているのが見つかり、誰かが深夜侵入してボート遊びをしたらしいとして建造物侵入で取り調べが行われているというニュースがあった。 住民は、「毒でも入れられていたら」とか「人がボート遊びをした水を飲むなんて気持…

乳がんだった川端康成

鶴見大学で「川端康成とその時代」という蔵書展をやっており、その解説パンフを入手した。ちょっと解説に疑問がある。第一に来るのは竹内道之助宛の1953年3月18日の川端の手紙で、山田吉郎解題だが、竹内は三笠書房社長で翻訳家、この時は川端の『再婚者』を…

川端康成の原稿二重売り

『中央公論』の八月号には、先ごろ発見された川端康成初の新聞連載小説「美しい!」が載っている。その次に川端が連載したのは「結婚なぞ」である。1927年5月読売新聞で、これは全集にも載っている。だが、その連載から二か月もたたずに出たであろう『青年日…

鶴川健吉は、1981年12月4日東京都生まれ。本名・松本健太。子供の時から相撲が好きで、中学校2年生の夏に桐山部屋(元関脇黒瀬川)を見学し、冬に手紙を書いたが、行司の定員が一杯で入門できなかった。98年3月に欠員が出たのとの連絡を受けて高校を中退して…

http://megalopolitan.jimdo.com/review/volume-iv-1/ 大杉重男氏が書評を書いてくれた。さて、川端が秋声を評価したについては、女婿の寺崎浩、息子の雅彦と交友があったからだろうと、実ははじめ書いておいた。だが、実はこの本は、最終校正の段階でかなり…

ダジャレの翻訳

勝浦吉雄訳の『マーク・トウェイン自伝』を読んでいたら、その第十二章で、子供の頃のミンストレル・ショーの思い出が書いてあった。そこで滑稽話として、船で漂流した話がなされ、「何で生きてたんだい?」と質問されると、「玉子で生きてたんでさあ」と答…

火野葦平『革命前後』

火野葦平が、敗戦前後、福岡で西部報道部におり、敗戦後は九州書房を興した前後のことを描いた一種の私小説『革命前後』を読んだ。この発表後、火野は自殺し、同書は藝術院賞を受賞したが、今はほとんど読まれない。火野は伯父叔父に何人か自殺者がおり、自…