2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

 http://cruel.org/other/smoking.html#civilization

なんで9月30日の日付で室井尚にからむんだ山形浩生。俺にからめよ俺に。それともあれか、俺には勝てないとか、ネットしか見ないネットバカを洗脳しようとか、そういう意図か。(それともコピペするのは楽だが本から引用するのは面倒だとでも?) まあ「キャ…

「公人」とはまず国家公務員である

当然ながら私は『噂の真相』やら2ちゃんねるを嫌悪しているのだが、この二つは「公人」の捉え方が間違っている。たとえば私の「離婚」を『噂真』が書いたとき、元妻は仮名だった。無名の人なのだから、ということだろう。ところが当時、あちらは国家公務員…

「外人」は差別語か?

こないだ大相撲中継に村松友視がゲストで出ていたが、「外人力士が」と繰り返すので、ああこれはまずいな、と思っていたら、案の定、注意されたらしく「外国人」と言うようになった。 「外人」は「不適切な発言がありました」と謝罪するほどではないが、使わ…

「日本史年表・地図」

吉川弘文館の『日本史年表・地図』を私は座右に置いている。ところが先日、「文献一覧」のところで「令集解」が834年となっていたのでそのまま原稿に書いたら、860年代だと指摘され、調べてみると確かにそうである。そこで吉川弘文館に電話して訊いたら、…

大学のウェブサイト

私のような人間が大学のサイトを見るときというのは、だいたいそこの日本文学科や英文科の教員の顔ぶれが見たいのである。しかし、三流私大のHPなどで、そういう情報がまるで分からない、あるいは不完全なものがある。読ませられるのは、明らかに実情とは…

「感じない男 」と森岡正博

ミクシィに書評を書いておいたのだが、要望(?)があるようなのでここに移す。 森岡は、渡辺淳一の『男というもの』を、男はこうあるべきだと決め付けていると批判しているが、どうも森岡にも、自分の感じ方を「男はこうだ」と決め付けるところがある。たと…

『比較文學研究』八十二号(2003)の、ヨコタ村上孝之氏の論文「恋と遊び−−ドン・ファンあるいは色男」の注7は、全体として私への反論になっているが、その中に「ガダマー流の解釈学にたって考えれば、ある文化はいつも二つの異なるパラダイムの対話と…