2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

谷崎潤一郎没後年表

1966(昭和41)年 1月、藝術座で『細雪』上演。菊田一夫、浦島千歌子、岡田茉莉子、司葉子、団令子。 15日、増村保造監督『刺青』封切、若尾文子。 日本の文学『谷崎潤一郎集(二)』田村孝之介装画、中央公論社より刊行。 22日、川田順死去(84)。 …

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和40年まで)

(写真は谷崎お気に入りの女優・淡路恵子)1964(昭和39)年 79 1月5日、『京都新聞』で「初釜清談」谷川徹三、佐伯米子、入江、千宗興、三島。 15日、吉川幸次郎、中村歌右衛門ら、藝術院会員。 20日、渋沢秀雄宛代筆書簡、先日は久しぶりに、その…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和38年まで)

(写真は谷崎お気に入りの女優・有馬稲子)1962(昭和37)年 77 1月、座談会「明治の学生作家」久保田・戸板康二・池田弥三郎・車谷弘『銀座百点』 8日、「わが小説−『夢の浮橋』」を『朝日新聞』に掲載。 11日、千萬子より書簡、中公二月号の感想、…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和36年まで)

(写真は谷崎お気に入りの祇園の藝妓・仔花)1960(昭和35)年 75 1月、「伊豆山放談」を『サンデー毎日』に掲載。 『新潮』1月号から川端「眠れる美女」の連載が始まる。 6日、恵美子(32)と観世栄夫(34)の婚約が発表され、マスコミが押しかける…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和34年まで)

(写真は谷崎お気に入りのストリップ女優・春川ますみ)1958(昭和33)年 73 1月、「明治回顧」を『東京タイムズ』に掲載。『谷崎潤一郎全集第一巻』に「序」を掲載。志賀直三『阿呆伝』に序を寄せる。『国歌大観』新版見本に「私と国歌大観」を寄…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和32年まで)

(写真は谷崎お気に入りの女優・若尾文子)1956(昭和31)年 71 1月、角川文庫より『武州公秘話』刊行、解説・伊藤整。 1月から12月まで、『淡交』に今東光「お吟さま」連載。 「あたらしき年の始めにうつくしき有馬稲子と相見しかなや」有馬稲子…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和30年まで)

(写真は谷崎お気に入りの女優・京マチ子)1954(昭和29)年 69 1月、永井荷風、川端康成、藝術院会員。 6日、夫婦連名長尾伴七宛年賀状。 9日、熱海山王ホテルより濱本浩宛葉書、病気の由こちらも眩暈治らず、三月一杯はこちらに。 17日、「椎本」…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和28年まで)

(写真は谷崎お気に入りの女優・高峰秀子)1952(昭和27)年 67 1月、「吉井勇君に」を『毎日新聞』に掲載。昨年暮れの返し。都踊の脚本を共同で書くことになったが、詞章は吉井のものであること。『婦人倶楽部』で辰野と対談「男の友情五十年」。角…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和26年まで)

(写真は近作映画「卍」で好演した秋桜子)1950(昭和25)年 65 1月、「A夫人の手紙」を『中央公論』別冊文藝特集に発表。「金と銀」を『小説世界』に再掲載。「『蘆刈』など」を『展望』に掲載。荷風、「買出し」を『中央公論』に発表、賛嘆(「…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和24年まで)

(写真は奥村富久子)1948(昭和23)年 63 1月、『中央公論』で荷風・辰野との「好日鼎談」。『新文学』で志賀との対談。栗本、中央公論社専務取締役。 2日、第一ホテルから笹沼夫妻宛葉書、新年挨拶、長岡はやめて当地にあり一度おいで。 3日、…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和22年まで)

(写真は谷崎お気に入りの能楽師・奥村富久子)1946(昭和21)年 61 1月、『人間』に「永井荷風氏書翰」を掲載。 1日、明が北海道から来る。土産物多し。 6日、本田夫人が来て三味線を聴かせる。 11日、水嶋夫妻を招いて晩餐、パイプ煙草を水嶋に勧…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和20年まで)

1944(昭和19)年 59 1月1日、熱海で松子、恵美子、清治、なつと元旦。岸沢家女将が安彦を連れて年賀、夕方夫婦で来宮神社に参拝、夜渡邊夫婦来る。(「疎開日記」) 2日、明が屠蘇を持ってきてくれたので飲む。午後夫婦で泉未亡人方へ年賀、岡田…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和18年まで)

1942(昭和17)年 57 1月2日、日本軍マニラ占領。 6日、志賀宛書簡、鹿児島の女中は戦争になったので東京へは行きたくない、他の女中も暇を貰いたがり思い止まらせるのに骨折った、じいやはあれからよそへ話ができかけているが取りやめにするよう…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和16年まで)

1940(昭和15)年 55 1月、南座で花柳主演『春琴抄』上演、続いて御園座で。 6日、杉並区井荻の濱本浩宛書簡、改造社との関係も昨年円満解決、一度挨拶しようと思いつつ果たせず、月末か来月上旬上京するので、小島政二郎、川口松太郎あたりと一緒…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和14年まで)

1938(昭和13)年 53 1月3日、岡田嘉子、樺太国境を越えて杉本良吉とソ連亡命。 15日、土屋宛書簡、もう支那から帰国か、約束の短冊、歌が前にあげたものと同じでは面白くないので新しく作る、もう少しお待ちください。 18日、森田朝子より手紙?…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和12年まで)

(写真は谷崎が親しかった小出楢重の裸婦像)1936(昭和11)年 51 1月4日、草人宅で福田蘭童(31)に紹介される。蘭童は谷崎不在中の草人宅で松子には会っていた。 5日、荷風、左団次、嶋中と偕楽園で「新春懇談会」。 パール・バック『大地』(新…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和10年まで)

1934(昭和9)年 49 1月、佐藤の姪智恵子が三好達治と結婚する。 5日、松子と重子上京、帝国ホテルに泊。 9日頃、松子、急性肺炎で草人宅へ連れて行く。 16日、岡田時彦死去(33)、谷崎、「香雪院雪瑛居士」の戒名を与える。嶋中宛、三月号分送っ…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和8年まで)

(写真は谷崎二番目の妻・古川丁未子)1932(昭和7)年 47 1月4日、佐藤豊太郎宛年賀封書。 13日、大阪の神社で、後藤和夫の媒酌により、小林せい子、和嶋彬夫の結婚式。永井龍男(28)が招待状も送っていないのに出席したという。 19日、「私の見た…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和6年まで)

(写真は岡本梅の谷の家)1930(昭和5)年 45 1月、『婦人公論』の美人コンテストの選評で、不満を唱える。中央公論社のバートン版『千夜一夜』内容見本に推薦文。 同月から佐藤春夫、「心奢れる女」を『大阪朝日新聞』に連載。タミとの離婚の経緯。佐…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和4年まで)

1928(昭和3)年 43 1月、スタンダール「カストロの尼」を『女性』に連載(2月、4月の三回で中絶)。『新選谷崎潤一郎集』を改造社から刊行。 20日、ヨーロッパへ向う辻潤・まこと父子が大阪に投宿、自宅で送別の宴。 28日、草人の「支那の鸚鵡」…

谷崎潤一郎詳細年譜(昭和2年まで)

(写真はナオミのモデル、義妹の小林せい子)1926(大正15・昭和元)年 41 1月、「為介の話」を『婦女界』に発表、「友田と松永の話」を『主婦之友』に連載、5月まで。草人、ジョン・バリモア主演『海の野獣』に出演。 6日、家族を伴って出発、長崎…

谷崎潤一郎詳細年譜(大正14年まで)

1924(大正13)年 39 1月、「神と人との間」連載再開。『肉塊』を春陽堂から刊行。『苦楽』創刊号附録『代表的五大名家戯曲傑作集』(プラトン社)に「お国と五平」を収録。『演劇新潮』創刊され、同人となるか。 この頃、伊勢の男児が危篤と中西か…

谷崎潤一郎詳細年譜(大正12年まで)

1921(大正10)年 36 1月、『潤一郎傑作全集』全五巻を春陽堂から刊行。 1・2・4月、シナリオ「月の囁き」を『現代』に連載。 谷崎はせい子と高橋の結婚を纏めようとするが、土壇場で高橋が女優・紅沢葉子と逃げ、成立せず(瀬戸内)。 22日、佐…

谷崎潤一郎詳細年譜(大正9年まで)

(写真は水島爾保布による「人魚の嘆き」挿絵)1918(大正7)年 33 1月、芥川「良工苦心・谷崎潤一郎氏の文章」を『文章倶楽部』に掲載。 2日、戯曲「仮装会の後」を『大阪朝日新聞』に発表。 5日、12日、19日、「襤褸の光」を『週』に連載。 25日、…

谷崎潤一郎詳細年譜(大正6年まで)

1914(大正3)年 29 1月、「捨てられる迄」を『中央公論』に発表。 同月、下宿(どこ?)に家賃滞納者として谷崎の名が張り出されているのを江口渙目撃。(月報江口) 2月、鴎外「堺事件」『新小説』に発表、読む(「当世」)。精二、ガルシン『赤…

谷崎潤一郎詳細年譜(大正2年まで)

1912(明治45・大正元年) 27 1月3日、穂積フク急性肺炎で死去。 4日、芝の紅葉館で催された読売新聞社主催の新年宴会に出席。瀧田が迎えに来て一緒に電車で行く。羽織袴縞御召の二枚襲ね一式を借用して、これまでとは違った身なり。電車の中で足立…

谷崎潤一郎詳細年譜(明治44年まで)

一回分があまりに長いので分割することにした(2007年2月) 本年譜は試作的なもので、なるべく典拠を示してあるが、笹沼家との交流その他、甲南女子大学教授・細江光氏の研究に負う所が多い。数え年を用いている。書簡の文面は簡略化してあり、本文では丁寧語…