桝屋友子・東大東洋文化研究所教授が、6月21日に64歳で病気のため亡くなった。7月5日が葬儀だったという。桝屋さんはイスラーム美術が専門で、年齢は一つ上で、長崎県の出身である。私が知っているのは、大学時代私が所属していた「児童文学を読む会」にいらしたからである。もっとも桝屋さんは美術サークルのほうが本来の所属だったようだし、それほどこっちに出席するほうではなかった。
このサークルでは「レポーター」と呼ばれる、番に当たった人が、自分が読書会でやりたい本を提案するのだが、桝屋さんが出したのは、「チョコレート工場の秘密」と、マルセル・シュオッブの「木の星」だった(後者ははじめ「少年十字軍」と言っていたが変えたようだ)。私にはどちらもあまり趣味ではなかった。
美しい人だったが、英文学の新井潤美さんと同じタイプだった。恐らく当時のサークルの人びとが桝屋さんを強く印象づけたのは、サークルで月一回くらい出していた月報に桝屋さんが描いた漫画で、それは天体望遠鏡で遠い星を見ている少年が、耳にイヤホンをつけて、片方の先端を裸体の下半身のお尻の穴に差しており、これで遠い天体の放送が聴けるという、奇想ものだったからである。中にはこれを「猟奇趣味」と言っているやつもいたが、つまりは前衛芸術趣味で、美術史の大学院からニューヨークへ留学して、国立民族学博物館の助手から東文研へ移ってきたのだが、私の比較文学の後輩の山中由里子という、やはり中東の美術をやる人が東文研の助手から民博の教授になっているので、ちょっと一時混乱することがあった。
その割に、それほどの思い出がないのは、実は物静かな人だったからであろう。年賀状に「今年はいじめないでね」と書いてあったことがあり、そんな意識はまったくなかったのでうろたえたこともあるが、繊細な桝屋さんは、私の粗雑な言葉からそんな感じを受けることもあったのだろうか。
一つ、覚えているのが、当時本郷三丁目のルノワールで読書会をすることがあって、その時桝屋さんが私の右隣にいて、音楽が流れているのを、「ね、これ、「トゥオネラの白鳥」だよね?」と私に訊いたのだが、私は「さあ」と答え、桝屋さんは右隣にいた、のち考古学者となって名古屋大の教授になった周藤芳幸さんに、同じことを訊いたら、周藤さんが、貴族的な風貌で「うん、「トゥオネラの白鳥」だね」と言ったのだが、周藤さんは確か楽器をやっていたはずで、私たちの会話が聞こえていたはずなのに、それまで黙っていたという奥ゆかしさに、自分にはとてもできない、と思ったことがある。
二つ上の笠浦友愛という、卒業後NHKに入った人も長崎出身で、中学あたりからの知り合いだったらしいのだが、私は2003年ころ、大阪大学で私が関係していた言語文化研究科という大学院で博士号をとった眞崎睦子さんという人から連絡をもらって、永福町で会ったこともあった。眞崎さんは一つ年上なのだが、活水女子短大を出てから結婚して、ずっと主婦をしていたのだが、40歳くらいで阪大へ入り直して、坂元一哉に教わったというから法学部を出たのだろうか。博士号をとってから、北大に就職していた。この眞崎さんが、桝屋、笠浦さんと知り合いだったので、「マスヤ」と「ス」にアクセントがある呼び方をしていたので、私がメルアドを教えたので、久しぶりに二人でメールのやりとりをしたと言っていた。
前にも書いたが、この眞崎さんが、深刻なパワハラに遭ってしまい、ちょっと音沙汰がなくなったあと、2017年に55歳で死んでしまうということがあり、翌年そのことを知った私が桝屋さんに問い合わせるということがあった。それから9年で、桝屋さんも行ってしまうとは思わなかった。
(小谷野敦)
(追記)そういえばもう一つ思い出した。何か本を読んでいて「桝屋」という商人の名が出てきたので、次に桝屋さんに会った時、その話をしたのだが、その時、何の本だったか忘れてしまった。桝屋さんのほうでも、「あっ、それ知ってる。えーと、何に出てきたんだっけ」と言い、二人とも同時に思い出して「新選組!」と言ったことがある。子母澤寛の『新選組始末記』に出てきたのだった。