中尾知代「戦争トラウマ記憶のオーラルヒストリー」アマゾンレビュー(掲載拒否)

もったいないことをした

星3つ 小谷野敦

かつて小菅信子の『戦後和解論』を、和解など成立していないと批判した著者の労作で、第二次大戦でビルマ戦線あたりで日本軍の捕虜となって虐待を受けた英国兵士らへの聞き取りで、そもそも帝国主義を始めたのが英国ではないかという怒りをぐっと抑えての仕事ではある。249pの注に、小菅への批判はやはり載っていて、242pには、日本はちゃんと補償をすべきだ、そうでないからアメリカなんぞと同盟して、ロシヤや中国を仮想敵国としているのだと珍妙なことを書いていて台無しにしている。2022年7月といえばウクライナ戦争は始まっているというのに依然としてロシヤがアメリカよりまともな国だと思っているのは実におかしい。他人のトラウマより自分の狂信的な平和主義のほうを点検したらどうか。あと天皇(現上皇)としつこく出てくるが、明仁天皇と書いておけばいいので、この人は天皇主義者じゃないかと思った(小菅もそうなっているようだが)

モーム「聖火」講談社文芸文庫・アマゾンレビュー

これはやまゆり園事件だよ

星1つ 小谷野敦

 

探偵小説仕立ての筋に、息子の妻の不貞への母の寛大さといったあたりで面白がってしまうが、これは最終的には嘱託殺人ですらない、「生きていてもしょうがないだろう」という忖度殺人、つまりやまゆり事件の肯定にほかならない。下半身不随でも、妻と離婚しても、人は生きてやることがある、ということを言わなければならないだろう。

工藤庸子「評伝 スタール夫人と近代ヨーロッパ」アマゾンレビュー

いくつかの問題点
星3つ - 評価者: 小谷野敦、2023/02/24

蓮實重彦がこの書物を抱擁したいと書いているので読んでみたが、フェミニストであ

るらしい東大名誉教授の女性がスタール夫人について書くことは、天皇制を容認する

人ではないかと、その一方で安保法制への反対運動への賛同は繰り返し書く人であ

ると、ああそういう人かと思ってしまう。またフランスで書かれた伝記を意識して大

言壮語的になりつつ、スタール夫人の男性関係について、はっきり書いていないとこ

ろがあり、それは決定的な失敗だろうと思った。蓮實先生がナポレオン三世について

は意地悪なように工藤はナポレオン独裁との対決を描くがブルボン王朝には好意的な

のではないか。

「「知」的放蕩論序説」アマゾンレビュー

ポモと博士号
星1つ - 評価者: 小谷野敦、2023/02/26
蓮實重彦のインタビュー集。2000年のものなので23年も前だが、『文学部唯野教授』を「誰が書い
たか忘れたが愚かな小説」とか言っていて、筒井康隆と共著を出す現在からは隔世の観がある。あ
とこれから十年くらいあとに渡部直己のインタビューで、日本の学者で博士号をとっていないのが
いると言っていたがここでも同じことを言っているが、ソーカルを批判していて、やっぱり「ポモ」は認めているらしい。だがポモは非学問なので、ポモ擁護と博士号とれ発言は矛盾しているのだ
が、それをスガとか渡部とかの取り巻きが一切質問も批判もしないで来た23年だったなあ、と。あ
るいは当時の天皇が「民主主義者」だとかスガまで一緒になって言っているのは、蓮實よお前もか
の観がある。凡庸すぎないか。

平山瑞穂の作品について

 平山瑞穂の「エンタメ作家の失敗学」(光文社新書)という、作家が売れなくなり本も出してもらえなくなったという内容の本への、私のアマゾンレビューが「冷酷」だと言われているが、私自身も境遇は平山と同様なので、読んで、これでは売れないと思ったのと、平山家四代の話を書いたらいいんじゃないかと書いただけである。むしろ、頑張ってください、とかのレビューを書いた人が、平山の小説作品を読んでないんじゃないか、読みもしないで頑張ってくださいと言われてもねえ、と思った。

 さて、私は平山の作品のうち、ファンタジーノベル大賞をとった「ラス・マンチャス通信」と、いささか自信作だったらしい「冥王星パーティ」に目を通した。後者は、800枚書いたものを長すぎるから500枚に削ってくれと編集者に言われて削ったというものである。

 さて「ラス・マンチャス通信」は、純文学作品として書いたものを四つ並べて連作風にしたものだというが、最初の作では「あれ」と呼ばれているものの奇怪な行動を描いているが、「あれ」というのは兄だということが最後に明かされる。しかし、兄だと分かって読んで、これは面白いのだろうか。何か純文学をなめているという感じはした。

 しかし驚いたのは『冥王星パーティ』の、最初のほうに出てくる男女の会話である。男が「シュショウになろうと思っている」と言うと、女が「殊勝?」と訊くのだが、もちろん「首相」である。こんな会話は実在しないだろうと思うのだが、女の「殊勝」という変換は、誰の視点で観察して書いたものなのだろうか。さらにその先に「首相公選制」という聞きなれない言葉、とかいったことが書いてあった。だがこれは2007年の作品で、首相公選制は小泉純一郎が盛んに言っていたから、聞きなれない言葉ではないと思うのだが、著者や編集者は、このあたりをどう思って通したのだろう。これはいくら何でも、800枚を500枚に縮めたために出現したものではあるまい。こういう点からも、何か基本的なところで間違っている作家だという気が私はするのである。もちろん、お前だって売れないことに変わりはないだろうと言われたらそれまでではあるが。

小谷野敦

赤木かん子への手紙

 児童文化評論家の赤木かん子に手紙を書いたのは、大学一年の時だったような気がする。それは赤木の「ヤングアダルト」というジャンルをもっと広げるべきだという論旨の文章に反対したもので、私は、高校生くらいになったら、別に大人が読むものを普通に読めばいいので、ヤングアダルトなどという細かい年齢による読書の区分けをしなくてもいいだろうと主張したのである。多分掲載誌の出版社宛てに出したのだろうが、返事は来なかった。当人が読んだかどうかも知らない。

 その後の歴史は、現実には私の敗北で、公共図書館や大きな書店にはしばしば「ヤングアダルトコーナー」が設けられている。これはある意味で出版戦略の勝利であったかもしれない。だが私の、高校生になったら大人向けのものでも何でも読めばいいという考えは変わっていない。

 私は図書館で、時々絵本を借りるが、そうすると図書館員から「お子さんがいらっしゃるんですか」などと訊かれたこともあった。いや私が読むんだが、世間には、子供向けのものは大人が読むのはおかしいという考え方があるようだ。私は大学時代、「児童文学を読む会」にいたくらいだからそういう考え方をまったくしない。赤木の「ヤングアダルト」という思想(それはアメリカあたりから入ってきたものだろうが)には、それと似た、年齢で読むものを分ける一種の差別思想が潜んでいる気がして、私は嫌なのである。

小谷野敦

古文の小山先生

 私は高校一年の時、古文を小山先生というおじいさん先生に教わった。総白髪だったが、翌年からは姿を見なくなったので、あれで定年になったのかもしれない。それにしては元気な先生で、当時NHKで放送していた「日本巌窟王」などを観ていたようだ。

 この先生から、私は『日本人とユダヤ人』の話を聞き、その著者は山本七平ではないかという話を聞いた。それから、恩田木工の『日暮硯』の話も聞いたのだが、先生は「おんだもっこう」と発音していたが、あれは「もく」である。古文の先生としてはちょっと頼りない。しかも、これは岩波文庫に入ってはいるが、有名になったのは『日本人とユダヤ人』で称賛されてからなので、これも古文の先生としてはちょっと頼りない。なお、これは今では恩田木工のことを後世の家臣が書いたものということになっているようだ。

小谷野敦