冷やす映画

「レボリューショナリー・ロード」は、1961年のリチャード・イェーツの原作を2008年にレオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレットで映画化したもので、「タイタニック」から11年ぶりの共演で、監督はウィンスレットの夫のサム・メンデス、夫婦関係がぐずぐずと崩れていくさまを描いた優れた純文学映画である。

 日本でも「喜びも悲しみも幾年月」で理想の夫婦を演じた佐田啓二高峰秀子が、わずか二カ月後に同じ木下恵介監督の「風前の灯」で、似ても似つかぬ変な夫婦のコメディ映画を撮ったことがある。なんか「冷やす」必要があるのかもしれない。

 

顔だけで「愛している」のか

西洋人は恋人や配偶者に「アイラブユー」とか言うが日本人は恥ずかしくて言えないということがよく言われるが、私は映画など観ていて、これは初対面でどう見たって顔だけで好きになってるだろうという状況で「愛している」とか言うことで、私の感覚では「愛している」は顔だけで決めちゃいけないんじゃないかと思うんだが、あれは製作者とかは意識してないんだろうか。

「肩させ裾させ」と「促織」

 コオロギのことを「ツヅレサセコオロギ」とも言い、これは秋になって鳴くのは、寒い冬に備えて衣服を織れと促して「肩させ裾させ綴れさせ」と鳴くからだと説明されている。
 しかしこれは、シナ発祥のことがらで、シナではコオロギを戦わせる「闘蟋」という賭けを伴う遊びが盛んで、瀬川千秋の『闘蟋 :中国のコオロギ文化』には、コオロギは「快織(カイジー)、快織(早く機を織って寒さに備えよ)」と鳴くのだと聞きなし、それでコオロギを「促織」と呼んで、後漢の「文選」にはすでにこの呼称があったというのだから、日本の文明以前からあった呼び名で、唐代の杜甫にも「促織」というコオロギを詠んだ詩があるという。それをいつ「肩させ裾させ」と日本流に翻訳したのかは知らないが、誰か調べた和漢比較文学者はいないのであろうか。

 

三田誠広「遠き春の日々 僕の高校時代」アマゾンレビュー

 

2022年5月18日に日本でレビュー済み

 

近松秋江の日記

青木正美さんから著書「昭和の古本屋を生きる」(日本古書通信社)を送ってもらったら、青木さんが以前所持していた近松秋江の未刊行日記の紹介があった。大正十四年(1925)のもので、新潮社から出た「文章日記」だが、あまり本式には書かれておらず、三万円で落札したとのこと。紹介されたのは、三月の、新しい女中が来たことと、11月に、徳田秋聲還暦祝賀の相談会をやったことくらいである。すでに手元にはなく、誰に売ったかは分からないとのことであった。

ヘンリー・フィールディング伝 澤田孝史    アマゾンレビュー

これは面白い
星5つ 、2022/05/06
こんな面白い伝記がなんで刊行当時話題にならなかったんだろう。はじめ劇作家としてファルスの名人とされ、ついで小説で名をあげつつ、治安判事にもなり、政治にもからんだ46年の太く短い人生を、著者の善悪両面を容赦なく描く筆致が抉りに抉る。一般読者は偉人伝が好きだからこういう書き方は嫌うのかもしれないが、はじめのうちは無味乾燥に見えるがいったん本筋へ入ると飽きさせない。ちょっとこの著者がその後、大学の先生はしているが論文を書いている様子がないのは心配だ。