インド残酷物語 世界一たくましい民 (集英社新書) 池亀彩ーアマゾンレビュー

ちょっとこの書き方はないわ
星3つ -、2021/12/12
インドでフィールドワークをしている京大准教授、52歳初の単著である。いくつかの逸話が並んでいるが、冒頭に、不可触民カーストの男と結婚した上位カーストの女性が、家族によって夫を殺される「名誉殺人」の話があり、これが一番印象に残るのだが、そこで著者の運転手は、「あの女性は結局家族のもとへ帰るんじゃないか」と言い、著者もそう思うと書き、読者はどきりとする。私はここが一番すごいと思ったのだが、「あとがき」まで来ると、結局そんなことはなく彼女は再度低カーストの男と結婚して活動家になっている、とあり、拍子抜けした。それならそれを最初の章で書いておくべきではないか、と著者ないし編集部に対して不信感を抱いた


書評・葉真中顕「灼熱」ー「週刊朝日」12月10日号

 一九四五年、大東亜戦争と日本では呼ばれていた戦争に日本が負けた時、ブラジルに二十万人ほどいた日本人移民の間で、日本が勝ったというデマが広まった。のちに「勝ち組」「負け組」の争いと呼ばれるようになるもので、日本が買ったと信じる者は「信念派」、負けたという真実をつかんでいた者たちは「認識派」と呼ばれたが、「勝ち組」からは「敗希派」と呼ばれ、ついには勝ち組によるテロ殺人も起こり、長く続いた。今の日本で誤用されている「勝ち組」「負け組」はこれが本来の用法で
ある。               
 『灼熱』は、この「勝ち負け抗争」の小説化で、沖縄で生まれた移民として「勝ち組」の若い者となる比嘉勇と、ブラジルで生まれサンパウロに住んで都会的な知識を持ち、勇の親友だったのが「負け組」になるトキオを中心に物語が描かれていく。               
 この戦争で日本は、米英オランダに宣戦布告しているが、最後になってソ連が参戦、中国もポツダム宣言に参加することで対戦国となり(日本が認知していたのは汪兆銘政府)、解放されたフランスや、当初中立国だったイスパニアと南米諸国も、連合国の圧力で形だけとはいえ宣戦布告していたから、最後には日本は世界中を相手に戦争していたことになり、中立だったのはスイス、バチカンアイスランドアフガニスタンだけ
だったとされる。           
 ブラジルでも日本は敵国となったため、米国のように日系人を収容所に入れこそしなかったが、敵国人として扱われたため、戦勝国であるブラジル内で、負け組はいわばブラジル政府からお墨つきを絵て、勝ち組はブラジルが負けを認めていないのだと思って弾圧されつつ戦うという複雑な事態になった。                
 「勝ち組」の背後には、やはり詐欺師が暗躍したりしていたのだが、「勝ち組」では、昭和天皇マッカーサーが並んだ写真を、マッカーサーが謝罪に来た写真だととらえたり(それなら大統領が来ないとおかしい)、ミズーリ号上での降伏の調印式の映像を、米国側の降伏だと弁士が説明したりしていたとは知らなかった。勝ち組はポルトガル語ができず、現地の新聞も読めなかったし、英語で回ってきた詔書も自分では読めず、これに署名した日本人の軍人を襲撃するありさまだった。そこで浮かび上がるのが、勝ち組が田舎にいて知的水準が低いことから、都市部のインテリが多い負け組に劣
等感を抱き、それがバネとなって事実を認められなかったという点で、このことは現代の「Qアノン」や「ネトウヨ」にも共通する部分がある。  
 私は読みながら、勝ち組が来ると言っていた使節団が来なかったり、勝ち組が認識を改めることを期待している自分が、知的な高みから勝ち組を見下そうという心理
になっていたことに気づき、作者の洞察に恐れ入った。          
 作者は本来ミステリー作家なので、本作もフィクションでミステリー風に書かれたところもあり、事実どおりに書いたほうが良かったかも、という気もするが、特に
欠点にはなっていない。     
 私はむしろ、今の日本にも、七十年前の敗戦を悔しいことだと感じているらしい知的な階層の人々がいることが、むしろこの小説に描かれたことに通じる危うさがあ    
ると感じた。それはいたずらな反米感情と結びついたりして、暴発的なナショナリズムとなり、狂信となり、天皇制をよりどころとして復活しかねないものがある。作者がそこまで考えているかどうかは分からないが、晩年の江藤淳などが質の悪い反米右翼になっていたことも思い合わされ、世に江藤を再評価する人がいることを、私は苦々しく思いながら見ているのであった。もしかすると江藤には、大江健三郎に対しての敗北者意識、保守派の中での孤立意識などがあったのかもしれない。  

 

ヴィクトール・ユゴー 言葉と権力: ナポレオン三世との戦い (西永良成) (平凡社新書 アマゾンレビュー

 女ぐせの悪さが書かれていない
星2つ -、2021/12/10
新書版なので、ユゴーの伝記として読む人もいるだろうが、伝記としては勧められない。政治的な側面を、ナポレオン三世を悪玉として描いているが、妻のほかに公然と愛人を作り、ガーンジー島流刑中にも息子の恋人を奪い、次女アデルは恋のため気が変になって北米へ渡ったといった私的なことがらが書いていない。また死刑廃止論について礼賛しているが、ユゴーの『死刑囚最後の日』は、死刑囚が何の罪を犯したかまったく書いていない不誠実な書である。なお著者はちゃんと書いているが、ユゴーは中途までナポレオンとボナパルト家崇拝家であり、ガリバルディのような共和主義者だったかは疑わしい(ベートーヴェンほどの見識もなかった)。あと参考文献に辻ひかるの伝記がなかった。

音楽には物語がある(34)「さとうきび畑」と沖縄 「中央公論」9月号

 「みんなのうた」で「さとうきび畑」がちあきなおみの歌唱で放送されたのは私が中学に入った時(一九七五年)のことだった。生徒が多すぎて従来の建物に収まりきらず、新しい校舎を建てながら一年生はプレハブ教室で授業をしていたのは、小学校三年生で茨城県から埼玉県東南部のその市へ越して来た時と同じだった。

 英語の授業が始まるので朝から起き出してNHKの「基礎英語」を聴いたり、部活をやらなければと卓球部に入ったが、一週間素振りをやらされただけでやめてしまった。好きだった人形劇「新八犬伝」が終わったが同じ辻村ジュサブロー(現寿三郎)の人形による「真田十勇士」が始まり、買ってもらったばかりのカセットデッキで毎回録音したりしていた。 

 『みんなのうた』のテキストもこの月から買うようになったのだが、そこに書かれた「さとうきび畑」の作詞・作曲者寺島尚彦の、「ざわわ ざわわ」という歌詞に結実するまで何年もかかった、というエッセイの一部を見て、いつしか、これは沖縄戦で父を亡くした作者の自伝的な歌だと思い込んでいた。

 ところが最近になって調べたら、寺島(一九三〇―二〇〇四)は栃木県の出身で、東京芸大を出た作曲家で、一九六四年に沖縄を訪れて、その戦争の時の話に衝撃を受け、それで「さとうきび畑」ができたと知った。「ざわわ」ができるまで十一年かかった、というのはそういうことだったかと思ったものだ。

 私にとっては「さとうきび畑」はちあきなおみと切り離せない歌だが、世間では森山良子の歌唱が知られているようだ。だがこれはキレイすぎる。私の好きな鮫島有美子堀江美都子も歌っているが、私はやっぱりちあきなおみで、あの不安と成長の歓びの入り混じった中学一年時分を思い出す。

 だが、私はいつしかこの歌を心の中で遠ざけるようになっていた。というのは、私が大学へ入った一九八二年に、灰谷健次郎原作の「太陽の子」のドラマがNHKで放送され、私は長谷川真弓が演じるふうちゃんが好きで、大学のサークル「児童文学を読む会」の読書会でも『太陽の子』を取り上げたくらいなのだが、ここでは波照間島で戦争を体験した父が精神を病んでいることが主題になっていた。そしてそれから、どんどん、沖縄での戦争は、政治的に語られるようになっていった。それが嫌だったのである。

 九条護憲論と反米論、果ては集団自決を軍人が命令したなどという説をめぐって大江健三郎が提訴される事件もあった。あるいは、やはり私が好きだった「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」のシナリオライターに、沖縄出身の金城哲夫上原正三が参加しており、その中には普通のウルトラとは違う、怪獣や侵略者の側が人類の被害者だとする「ノンマルトの使者」や「怪獣使いと少年」があると論じられていた。これらは、論じる分には構わないが、それをもって護憲だの米軍帰れだの安保不要だのと言うのは間違いである。

 寺島のエッセイ集『ざわわ さとうきび畑』(琉球新報社)を見たら、寺島も結局はそういう人になったようで、「ウチナーンチュ」(沖縄人)になりたいと念じ、死後は沖縄で散骨したと書いてある。平和を祈念するのは結構だし、先の大戦は明らかな日本の過ちだけれど、この世には悪の勢力というのがいるのだから、国家非武装絵空事である。

 「さとうきび畑」にしても、そういう政治的呪縛からは自由に歌として楽しみたいし、「怪獣使いと少年」も、「帰ってきたウルトラマン」の中の、変わったしかし優れたエピソードとして楽しみたいのである。

中国の恋のうた――『詩経』から李商隠まで (岩波セミナーブックス ) 川合康三・アマゾンレビュー   


男の片思いはやはりないか
星3つ 、2021/11/25
岩波のセミナーで語った内容なのでですます調。まえがきで、丸谷才一の『恋と女の日本文学』を名著としているがそれは疑問だが、丸谷が推して読売文学賞をとった張競の『恋の中国文明史』が無視されているのは意図的か。チャイナ文芸に恋のものは少ないと言われるが、『詩経』国風にはある。そこから六朝詩、李商隠と紹介していくが、『遊仙窟』を「下品なポルノ小説」(152p)と切り捨てているあたりは、おおやはり儒教道徳がしみついたチャイナ文学者だとのけぞった。チャイナ文芸には、男の片思いを述べた詩や小説が欠けていて、もっぱら相思相愛の才子佳人もの、ないし女の閨怨が主である、ということが改めて確認できた

統計学のサンプル数と文系知識人に時々ある傾向

私が若いころ、選挙の日に八時を過ぎると刻々と当落が伝えられていたのが、八時になるといきなり多量に当落の予想が出るようになった。出口調査の結果だが、これで選挙速報が面白くなくなったと言う人が多かった。

 また、その程度のサンプル数でなんで分かるんだと言う人もいて、それは統計学的には正しいのだが、文系知識人でもけっこう「信用できない」と言う人がいたが、この20年でそういう人もだいぶ減っただろう。これはテレビの視聴率調査についても、自分の周囲で調べられている人なんかいない、その程度の数でホントにわかるのか、といった文章を書いている人が昔はいた。

 文系の知識人のこういう限界はだんだんなくなってきているが、あとは進化論あたりが、特に米国などで信用しない人がいる。日本では生成文法がなかなか理解されず、サピア・ウォーフの仮説が今なお跋扈しているありさまである。生成文法を教えているのが文学部だから、かえって話は面倒である。

少年マンガと少女マンガ

少年マンガに比べて少女マンガの批評が少ない」と書いた人に対して、「少女マンガのほうが批評が多いだろう」という声があがっている。確かに橋本治のとか、少女マンガは論じられているようには思えるが、手塚とか石ノ森、永井豪、白戸三平、水木しげる、赤塚、藤子、長谷川町子など考えると一概にそうも言えない。だいたい現代の日本は膨大な量の「マンガ」が流通していて、少年、少女だけでなく大人マンガ、青年マンガ、レディコミなどジャンルも数多いし、何をもって批評とするのかもはっきりしない。礼賛も批評か、文庫化された際の解説文も批評か、と考えると、学問的事実を確認するのは不可能に近い。そもそも全体の中での「少女マンガ」の比率という問題もあるし、たとえば「キャンディ♡キャンディ」は批評されているのかといった問題もある。

 私はむしろ最近「批評」という言葉が定義されずに流通し、定義についての議論も起こらないことが問題ではないかという気がする。