「舞踏会へ向かう三人の農夫」をあきらめる

 古い『文學界』を整理していたら、2000年の号に、ちょうど柴田元幸の翻訳が出たリチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』という長い小説についての座談会が載っていた。柴田、若島正高橋源一郎佐藤亜紀によるもので、前のほうを読んだがみなこの小説に感銘を受けている。

 私は少し前にこの小説の柴田訳を最初のほうだけ読んで挫折している。三つの話が交互に出てくる構成らしいので、落ち着いて読んだら読めるかもしれないが、時間がかかりそうだ。もし人生が永遠にあるなら読んでもいいが、そうではない。まあ私が読んでいた限りでは退屈だったが、あとのほうへ行くとそうではないのかもしれない。

 私は『ユリシーズ』とかピンチョンとかの前衛小説は苦手な人間だが、このパワーズのやつは、何か悔しい感じがする。アマゾンレビューを見ても、あまりちゃんと通読した人がいなそうだ。

 だが、元ネタとなった第一次大戦ころの写真「舞踏会へ向かう三人の農夫」というのを見ても、私は別に感銘を受けないし、自分には合わなそうだなと思う。それでこの小説についてはあきらめることにした。くやしいが、仕方ない。

「演劇界」の裏側

「演劇界」という月刊誌がある。こんな題名だが歌舞伎雑誌で、戦前からある歴史ある雑誌で、特に難しい雑誌ではないが、専属みたいなライターが何人もいて、松井今朝子などもその出身で、ほかに如月青子とかいる。

 私が大学一年の時、この雑誌の「歌舞伎特集」というのを買ったことがある。歌舞伎雑誌なのに歌舞伎特集は変だが、もしかすると、建前としては歌舞伎雑誌ではないのかもしれない。とにかく初心者向け案内みたいな特集号であった。

 後ろのほうに門閥俳優すべてにコメントがついているのがあり、二代目尾上松緑は「せりふが、みんみんいう」とか割と悪口も書かれていた。ところが読んでいくと「この俳優は人に会う時」みたいな記述があり、はてなと思っていると、当時まだ中村梅枝だった時蔵のところで「人に会う時の気持ちが一定していない」と書いてあって、ははあこれは記者とか贔屓とかに会う時のことで、そんなことは藝とは関係ないし、普通の観客とは何の関係もないわけだが、歌舞伎俳優というのは記者とか贔屓に愛想を振りまいて生きていないとこういうことを書かれるという世界なんだな、と理解したわけである。今もそうだかどうだかは知らないが少しはそういうところも残っている。

「分断が進む」って何だ

葉真中顕の、ブラジルの「勝ち組・負け組」抗争を描いた『灼熱』の帯の下のほうに「分断が進む現代に問う、傑作巨編」とある。勝ち組負け組抗争は、ブラジルの日本人コロニーにおける「分断」には違いなかろうが、現代における「分断」とは何ぞや。昨年あたりからこういう言い方が散見されるのだが、政治的に国民があっちとこっちに分かれることなら70年前だってそうだったし、むしろ戦争中のほうが分断したくてもできない状態だった。つまり普通のことなのに、なんで「分断が進む」とか言うのだ。

 アメリカ大統領選が終わったあとで、勝者つまり勝った側は、大統領選における「分断」を言い、これからは融和しようなどと言うが、これはまあ紋切り型のあいさつである。

 別に今特別に分断しているわけではないんじゃないか。帯はもちろん、著者の責任ではない。

小谷野敦

滝田文彦と花柳はるみ

90年の夏にバンクーバーへ行って外国人向けの英会話のセミナーに出たら東大三年生の佐野真由子がいた。真由子は帰国後、小谷野さんに会ったと滝田先生に話したら驚いていましたと手紙をよこしたので、私は返事で、滝田先生って滝田文彦?滝田佳子?と書いたら、滝田佳子先生です、文彦という方は存じ上げないですと書いてきた。滝田文彦は30年3月生まれだからその年の春には定年になっていた。私も滝田文彦は翻訳家として名前を知っていただけで、あとは卒業アルバムで若いころの俳優みたいな二枚目の写真を見ただけで現物は知らなかった。調べたら花柳はるみという女優と実業家の間の息子だったから、それで顔がよかったのか、まあ父親のほうも二枚目だったんだろう。前世紀のうちに死んでしまった。佐野真由子は大学院も行かなかったのに日文研准教授から今は京大教授になっている。「なしくずしの死」を滝田の訳で読んでいて気付いたことである。

昔の孤独

私には、テレビがない時代に人がどうやって夜を過ごしていたかは想像するしかない。都会なら近所の寄席へ出かけたりしただろうが田舎ではそれもないから、せいぜい近所で酒を飲むとか将棋を指すとかくらいしかない。

 同じように、2000年ころからあとに生まれた人は、私らの若いころ、一人暮らしをしているといかに孤独だったかが分からないかもしれない。メールもないしネットもないしツイッターもないのである。

 私が大阪で一人暮らしをしていたのは94年から99年の五年だけだが、最初の三年くらいはひどく孤独だった。大学の仕事を終えて帰ってくると、それから夜寝るまで誰とも話し相手がいないのである。たまに用事があれば人に電話できるが、用事がないと電話できない。メールは存在していたが私も周囲の人もやっていなかった。そのうち神経を病んで、夜中知り合いの編集者にファックスを送ったりしていた。本は出したが仕事の依頼が全然なかった。

 神経を病んでから、夜中に、どうしても耐えられなくなったらマンションを出たところにあるコンビニへ行けば人がいる、と考えたこともある。だからテレビドラマとか観ると、若くて結婚もしていない連中がしょっちゅう他人と一緒にいるんで、こんなことがそうそうあるか、と思ってしまう。

どっちもつまらん詭弁

 平川祐弘が、天皇制を批判する人に、「じゃあ日本が共和制になって小沢一郎が大統領になってもいいのか?」と言うと相手は黙る、などということを書いていた。右翼はだいたいこういう変なことを言うが、日本が共和制になっても大統領はいなくてもいいし、ドイツやイタリアのような象徴大統領になるのが普通で、伊吹文明でも大統領にしておけばいいだろう。

 ところが、共和制を支持する人の本を読んでいたら、アメリカ人が、日本は天皇制だからいいですね、と言う人がいたから、じゃあトランプの息子がトランプ二世になったらいいか?と言うと閉口する、と似たようなことを書いていた。ジョークとしても馬鹿馬鹿しい。それに先進国では立憲君主制だから君主は統治に口を出さないのだからそもそもばかばかしい。どっちもつまらんのである。

アメリー・ノトン  「殺人者の健康法」アマゾンレビュー

とても面白い
星5つ 、2021/10/31
戦後の海外小説は概して面白くないが、これは「ガープの世界」などとともに三本の指に入るくらいの面白さ。登場人物はほぼ二人だが、湾岸戦争を前にした91年、83歳のノーベル賞作家プレテクスタ・タシュが軟骨がんという特殊な病気で余命いくばくもないと知り記者が押しかけるが、一人目、二人目と、三島賞受賞時の蓮實重彦みたいな態度をとる作家に追い払われてしまう。作家はでっぷり太って醜い体形である。だが三人目の女の記者は、作家の66年前の犯罪と、その貴族の子孫としての来歴を明らかにしていく。作家の悪口雑言が筒井康隆を思わせる。これはアメリー・ノトン(ノートンは間違いらしい)の最初の作で、駐日ベルギー大使の娘で、天才であるらしい。女性記者の名前ニーナというのはチェーホフの「かもめ」から来ているのか。