「遊女」という呼称

某所で、明治初年の芸娼妓解放令で、遊女が娼妓になったという記述を見たが、徳川時代の娼婦を「遊女」と呼ぶのは疑問である。横山百合子の「遊女の終焉へ」(「近世史講義」ちくま新書)も疑問だが、遊女はむしろ中世的な用語で、近世においては公文書では「売女(ばいじょ)」である。

知らないことは訊けない

私が修士論文を書いた時(1989年)、私はコピー室へ行って、オートシートフィーダを知らなかったため、一枚一枚コピーしていた。半分ほどやったところで事務の人がきて、オートシートフィーダを教えてくれ、「あらー杉田さん(助手)に訊けばよかったのに」と言われたのだが、知らないことは訊けない。あとから男の人も来て同じことを言うから泣きたくなった。

 「そういうものがある」ということは知らないと質問できないのである。この論理は頑強で、「分からないことがあったら何でも質問してください」ということを言う人は、こういうものがあるということを知らないと質問できないし、逆に知っていれば質問しないでも検索すれば済むという現代の逆説に気づいていないのである。

 それから20年以上たち、父が60歳を過ぎて、時どきぼうっとして口をパクパクさせる、と母が言いだした時も、医者に話しても分からず、慶応病院へ連れて言ったらすぐ老人性てんかんだと分かった。それから十年ほどして、週刊誌に「老人性てんかん」の記述があるのを見たら、その時の父の症状にぴったりだった。母はもう死んでいたから、悔しかった。

 「存在することを知らない人にそれを教える」というコンピューターは、いずれできるのだろうか。

宮崎芳三と批評

『ちくま』九月号に廣野由美子の「批評とは何か」という文章が載っている。ちくま新書の新刊、北村紗衣の『批評の教室』の宣伝文である。廣野は京大人間環境学の教授で19世紀英国小説が専門だ。冒頭、廣野が修士課程を終える時に定年退官した指導教授のM先生というのが出て来る。廣野は京大独文科卒だが、大学院は神戸大で英文学を学んだから、これは神戸大教授だった宮崎芳三(1926- )で、もしかするとまだご存命ではないか。

 99年に宮崎先生から著書『太平洋戦争と英文学者』を寄贈されて、「朝日新聞」の「ウォッチ文芸」で紹介したことがある(なおこれは三人で担当する欄だったが、私の前に担当していたのが鴻巣友季子だった)。当時宮崎先生は、阪大助教授であった私をもっと年かさの人だと思っていたらしいということを人づてに聞いた。

 ところで廣野は、宮崎先生から、論文からは「私」を消せと言われ、「私」は「筆者」に変えるように言われたという。これはちょっと形式的だが、『太平洋戦争と英文学者』では宮崎先生もそういう軌範から自らを解き放って、「私は」と盛んに書いていた。

 廣野さんは、宮崎先生のそういう姿勢と対照的なのが北村の態度だと論を進める。私はまだ図書館から回ってこないので北村著を見ていないが、アマゾンレビューから推測するに、ここでは「批評」を学問としてではなく「文藝」としてやっていると思う。

 宮崎先生は科学的で客観的な「学問」を目ざしたのだろうが、文学研究で学問といえるのは、作家の伝記研究、またその環境の研究、作品については語注や注釈くらいで、作品を読んでどうとらえるかという「批評」は客観的ではありえない。フロイト精神分析にしてからが科学でも客観的でもないのである。

 これに対して異論のある人もいるだろうが、あるならあるでちゃんと議論すればいいのだが、やると具合が悪いか喧嘩になるからやらないようで、匿名でごちょごちょ言うくらいしかできないようである。

小谷野敦

赤坂真理「愛と性と存在のはなし (NHK出版新書) アマゾンレビュー

こういうことこそ小説に書くべきでは
星2つ - 、2021/09/28
本書では上野千鶴子の東大入学式での式辞を聞いて東大入学する男子が傷ついたんではないかとか、動物に同性愛はないとか書いているが、動物に同性愛はある。当人がトランスジェンダーじゃないかと考えていたり、母親が死んだことをきっかけに書いたとかいろいろごっちゃに書いてあるのだが、そもそも著者は小説家で、こういう題材こそ新書じゃなくて小説で、順を追って書いていくべきだと思う。あと全体に、他人との対話を拒絶して閉じこもっている感じがある

演劇評論家は嫌われる?

歌舞伎評論家・研究者の渡辺保ウィキペディアには「「田舎の人は演劇より北島三郎のほうが好きなんですよ」と差別発言をしたことがある」と書いてあった。今では「差別」は削除されている。

 大学で演劇を研究して、こんなものは売れないと覚悟している人はいいのだが、一般向けに演劇の本を出したりして、その売れなさに愕然としたりすると、日本人は演劇に足を運ばない、関心がないという怒りにとらえられ、みなもっと演劇に行け、と発言して、一般庶民から嫌われることがある。

 映画ができ、さらにテレビができて、廉価に演劇の類似物は楽しめるようになったのだから、一般庶民が高い演劇なんか行くわけないし、そんな常設劇場があるのは東京や大阪などの都市部だけである。それを、大学の先生をしたり評論家をしたりして、時には招待券なんかもらって演劇に行っている者から「演劇に行け」と言われたらまあムッとするわな。

 もちろん彼らは、生身の演劇を観る観劇は映画やテレビでは味わえないと思っているが、一般庶民は、たまたま観た演目が面白ければ「ほう」とは思うかもしれないが、何度も行くみたいなカネや暇はない(この場合、月に一回が「何度も」で、一般人にできるのはせいぜい「年に一回」)。それに、映画や小説は、好きなものなら二度、三度と観たり読んだりするか知れないが、普通は一度である。それが歌舞伎なんかは何度も何度も同じ演目をやるもんだから、普通は飽きる。

(大学教員というのは、自分がいかに暇とカネがあるかというのを自覚していない。特に都会の有名大学の教授や、まだ30代で独身の准教授は。彼らにそういえば「いやー会議とか雑務で忙しいんですよ」と言うのだが、とうてい一般企業の比ではなく、一般企業並みであったら月に一回観劇になんか行けない)

 また彼らはよく、西洋ではもっと人々が気軽に劇場へ行くし、大学で演劇を教えている、と言うのだが、これはどの程度ホントなのか知らない。後者は実際そうなんだろうが、それは多分シェイクスピアのおかげで、英語圏ではシェイクスピアの韻律のあるセリフの勉強をしているんだろうが、日本では韻律のある劇というのは歌舞伎になってしまうので、事情が違うし、そんなに大学で演劇実技を教えたって学生が卒業後役に立たないだろう。シアターゴーイングにしても、私はおそらくヨーロッパあたりでは貧富の差が日本より激しく、裕福な有閑階級が、18世紀の貴族みたいに社交を兼ねて劇場へ行っているんじゃないかと思う。

 その点、早大演劇博物館の館長は、庶民が観ているテレビドラマを専門としているんだから、その庶民とかけ離れていないぶりはすごい。元はベケットの研究者だったのに。それで副館長には当代随一の歌舞伎研究者がいる。

 たとえばシェイクスピアなんか観たことも読んだこともないという若者にそれを見せると、私が観察した限りではまあ感心するのは四割くらいで、六割は、台詞が大仰だとか回りくどくていやらしいとか思うのである。

スピンクスのインチキ

スピンクス「朝は四つ足、昼は二本足、夜は三本足、これなーんだ」

旅人「・・・うーん、分からん」

スピンクス「ではお前を食うぞ」

旅人「待て、答えを教えてくれ」

スピンクス「人間だ。生まれた時ははいはいしている。老人になると杖をつく」

旅人「それは朝、昼、夜じゃないだろう。生まれたてとか老後とか言わないとダメだろう」

スピンクス「いや、それだとばれてしまうので・・・」

旅人「インチキなやつだな。帰るぞ」

凡庸でないと嫌われる

綿野恵太君の新刊『みんな政治でバカになる』をざっと読んだ。綿野君と私は、天皇制反対で九条改憲論という立場をともにしているが、綿野君は前者は前著で明らかにしたが後者は著書ではまったく言わない。この立場は嫌われるからで、孤立するからである。私も、もし九条護憲論になったらツイッターのフォロワーは一万人を超えるだろうと思っている。

 嫌われても本が売れたらいいが(ビートたけしのように『だから私は嫌われる』と言いつつ実は嫌われていなかったり、『嫌われる勇気』みたいに実際には嫌われていないのもある)、普通は嫌われると本が売れないので、綿野君も自分の政治思想は出さないように苦労して本を書いている。

 考えてみると日本は政治的には特殊な国で、天皇制廃止と九条改憲というのは別に矛盾するわけでもないのだが、こういう正しい立場をとると孤立してしまう国というのは見渡したところ見当たらない。日本では多くの人が、「容天、九条護憲」という凡庸な立場へ、仲間を求めてわらわらと入ってきているというのが実情である。

 綿野君の本は抽象論が多くて難しいのだが、それはこういう、ホントのことを言うと嫌われるという理由によるとお察し申す。