「走れメロス」と「トリビアの泉」

ようつべで「トリビアの泉」を観ていると、2004年の放送で、太宰治の「走れメロス」は、太宰自身が借金を返すために走り回ったことを小説にしたものだと言っていたが、これは「ガセビア」である。

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檀一雄の『小説太宰治』に書いてあるというのだが、「走れメロス」が古代ギリシアのダモンとピチアスの話をシラーが詩にしたのを太宰がそのまま小説にした、まあほぼ盗作であることは、この当時だって分かっていたし、猪瀬直樹の『ピカレスク』のようによく読まれた本にも書いてあった。私も太宰がネタにした『新編シラー詩抄』の訳者・小栗孝則を主人公に「「走れメロス」の作者」という小説を書いたこともある(『東十条の女』幻戯書房所収)。

 この時は、荒俣宏MEGUMIも参加しておらず、異論を唱えそうな人がいないところでガセビアを広めるのは実に許しがたいことであると思った。さらに許しがたいのは、専門家として登場してこのウソを認知した中央大学教授(当時)の渡部芳紀である。

小谷野敦

 

 

「ウルトラマン」ダダの回のグダグダ

こないだ「ウルトラマン」のダダの回「人間標本5・6」を観たら、山田正弘のシナリオがグダグダだった。だいたい題名の「5・6」が何だか分からない。冒頭は峠での連発するバス事故なんだが、これをダダが仕掛けて、バスの乗客を人間標本にしているということになりそうだが、イデは乗っていて普通に病院に行っているしそうでもないらしい。捜査のために科特隊に依頼がいきムラマツとイデがバスに乗ったのにあっさり転落事故にあってしまい科特隊何の役にも立たず。ムラマツと謎の女が「投げ出された」とかで傷一つなく、二人ともそのまま近くの研究所を訪ねるとそこがダダに占領されていて、三つ顔があるから三匹いるかと思ったら一人だったというのがネタだが、一人でこんなところどうやって占領したんだ。

 ハヤタは、セブン以後の変身隊員と違って戦闘隊の古株だから、ムラマツがいないので自分がアラシとフジの指揮をとる、と言いつつ、ダダが出たと知らせを受けると二人に知らせもしないでいきなりウルトラマンになって飛んで行ってしまう。しかもダダはいっぺんスペシウム光線で倒したのに、尺が足りなかったのかまた出て来て二度戦っている。これじゃタロウなみのシナリオだ。

 最後にアラシとフジがかけつけると、ムラマツが「怪獣はウルトラマンが倒しちゃったよ」と笑いながら言い、そこへ意味不明にハヤタが現れて、これじゃ正体見破ってくださいと言わんばかりである。

著書訂正

谷崎潤一郎伝」(文庫)

p、20「戦前、こんな実名をあげたら軍人誣告罪に問われてしまう」→

 

 

軍人誣告罪」などというものは存在しない。のち石坂洋次郎について気づき何度も注意喚起してきたのだが、自分が使ったのを訂正するのを忘れていた。

「異人たちとの夏」の私小説性

 

 

 

 

映画「異人たちとの夏」を久しぶりに観たがやはり面白かった。これはカナダから帰国した92年ころにビデオで観て、それから山田太一の原作も読んだはずだ。これが映画になっているのを知ったのは、『ぴあ ピープルズファイル』という、当時活躍中の文化人のカタログで、特殊メイクの原口智生がとりあげられており、そこに幽霊のような顔の女の写真がついて「映画「異人たちとの夏」でも原口の技術が・・・」とか書いてあったからなのだが、映画にはその幽霊女が出てこなかったから、おかしいなと思ったもので、別の映画のものだろう。

 「異人たちとの夏」は1987年の山田太一の小説で第一回山本周五郎賞受賞作だが、山田は当時53歳で、シナリオとしての代表作「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などはそれ以前のもので、このあとはさしたる作はなしていない。

 「異人たち」の主役は40歳になるテレビのシナリオ作家で、浅草出身、12歳で両親を亡くしたが、浅草をふらりと訪れて両親の亡霊に出会うという話で、「牡丹灯籠」を下敷きにしたマンションの女の亡霊も出て来る。

 山田太一も浅草出身で、両親を亡くしたとは思えないが、顔もいいし、女にももてたろうし、浮気や不倫もあったろうし、女が自殺未遂するくらいのことはあったろうと考えると、この幽霊話も割と私小説風味が強いんじゃないかと思った。映画では永島敏行が演じていた後輩のシナリオ作家が、この映画のシナリオを書いた市川森一なんじゃないかという気さえする。

 その市川も、監督の大林宣彦も鬼籍に入った。私はどういうわけか大林宣彦が撮ると幽霊話でも認めてしまう。

書評被害録

日本では書評というのはたいてい褒めるものだが、私はわりあい悪意で書かれたことや、妙に事実と違うことを書かれたことが多い。しかるべく権力者に阿ねらないのがいけないのか、内容が気に入らない人が多いのか、両方だろう。

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手塚治虫とサントリー学芸賞

 

 

 

2006年に竹内一郎さいふうめい)が『手塚治虫ーストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞を受賞した時、何人かのマンガ研究者が激しく攻撃した。宮本大人夏目房之介藤本由香里らで、「マンガ学会」の人たちであった。しかし、攻撃は激しいものの、具体的にどこがどういけないのか、奇妙に不明瞭な、そのくせやたらボルテージだけが高い攻撃だった。

 これは要するに「わたしらのショバによそものが入って来た」という理由での騒動で、彼等は前年に出た伊藤剛の『テヅカ・イズ・デッド』をさしおいて何でこの程度のものが、と言いたかっただけである。しかし『テヅカ・イズ・デッド』は、ニューアカ的、ポモ的に読むのが難儀で、サントリー学芸賞はこういう表現を嫌うから、まあとれなかったろうなと思う。

 私はサントリー学芸賞の裏面はわりあい知っているが、まあ非公募の賞というのは裏がたくさんあるもので、ほかにも、なんでこれが受賞?というのはたくさんあって、特に竹内のものが突出して変だったわけではない。

 初期のマンガ学会というのは、学者でない人が中心にいたのと、漫画論というのは素人でもすぐに手を出す雰囲気があったため、地位を確立しようとしてやたら高飛車で、「『新宝島』で手塚が初めてクローズアップを使った」というのは神話だとか、『鳥獣戯画』が漫画の始祖だなどといまだに言う人がいて、とかやたら攻撃的な物言いをしていた。京都精華大学マンガ学部ができて、漫画家が教授になり、竹宮惠子なんか学長にまでなったのも、マンガ学会と連携していた感じはある。だからまあ今回の萩尾望都と竹宮の騒動についても、この人らは何も言えないわけ。

 マンガ学会でまともに普通に研究をしているのは、森田直子のテプフェールとか、もともと研究者で博士号もある人ということになった気がする。

 

「男たちの旅路」と「宇宙戦艦ヤマト」

男たちの旅路」のスペシャル「戦場は遥かになりて」(1982年2月)は、ヤクザもんとの戦いで死んでしまった若い警備士の婚約者の妊娠している真行寺君枝鶴田浩二が若者の郷里の小笠原まで連れて行って父(ハナ肇)と反戦思想を語りあうもので、「かっこよくあろうとするな」とか言っている鶴田浩二が、結局はかっこいい活躍をしてしまうドラマである。

 今発売されているDVDでは分からないが、最初放送された時、オープニングには「宇宙戦艦ヤマト」の動画が挟み込まれていて、多分無断でやったんじゃないかと思うが、要するにヤマトを軍国主義の復活として批判する意図があったわけで、それは山田太一も知っていたんじゃないかなあ。