人の名前を笑いものにしてはいけない

 『進撃の巨人』にオニャンコポンというアフリカ系の名前の人が出て来るが、私は最近ようつべで昔の「トリビアの泉」を観ているが、今ならありえないだろうというようなセクハラな行いも見られる。中で、ガーナのサッカー協会の会長の名前がニャホ・ニャホ・タマクローだというネタがあって、今は亡きやなせたかしさくらももこらに名前から想像される絵を描いてもらい、出演者はゲラゲラ笑い続け、私は見ていてものすごく不快になった。

https://www.youtube.com/watch?v=bCXlcDZLixo&t=313s

  私には、人の名前を笑いものにしてはいけないという倫理があるものと思っている。15年くらい前か、井上はねこという人を提訴した時、後輩の某君に電話でその話をしたら「はねこ」という名前だけで某君は「はねこ、何ですかそれは、ゲラゲラゲラ」と笑い転げたのだが、そんなにおかしいか? 高山羽根子というのもいるが誰も笑ってはいない。某君は電話で聞いただけなので、平仮名だからおかしかったというのでもない。

 どうもこのテレビ番組を見ていると、ニャホ・ニャホ・タマクローを同じ人間だと思ってないんじゃないかというところがある。やはり昔はこういうことがまかり通ったということなんだろうか。

引っ越しの手伝い

 吉永小百合のデビュー作「朝に吹く口笛」(1959)を観た。新聞配達員の話なのだが、「引っ越しがあるぞー」という声があがると、新聞販売所の若者たちがおしかけて手伝いをし、見返りに新聞をとってもらおうとする場面があり、ああこういう引っ越しの手伝いもあったのかと思った。

 私は漫画やドラマを観て、引っ越しの時は友達が来て手伝ってくれたりするものだと思っていたから、自分の引っ越しは、業者にやらせて、荷ほどきは東京では母に手伝ってもらったりして、自分は友達がいないからなあ、と寂しく思っていたら、妻によると、友達が引っ越しを手伝うなどというのは絵空事で、全部自分でやるのだ、ということであった。

アンソーシャル ディスタンス」金原ひとみ・アマゾンレビュー

読むのがつらかった
星1つ 、2021/08/25
谷崎賞をとったので表題作だけ「新潮」で読んだが読むのがつらかった。幸希という大学まで出る男が高校中退でメンヘラで堕胎する女となんでつきあっているのか最後まで分からなかったし、ちょいちょいはさまれるコロナ対策批判には作者の何も考えていないさまだけが浮かび上がり、「蛇にピアス」のころからあまり変わっていないんだなと思った。

女は残酷趣味?

 「オール読物」で直木賞の選評を読んでいたら、「テスカトリポカ」の評価について選評で論争をしているような趣きがあった。中でもちょっと怖かったのは三浦しをんで、その残酷描写への批判に対する「反論は、『ジョジョの奇妙な冒険』の名言「お前は今まで食べたパンの枚数を覚えているか?」に尽きる」として、残酷なことが行われているのは事実であり、それを描写し、それを行った者は滅びているのだからいいのだ、と書いている。説明はともかく、「ジョジョ」というのは私は最初のほうを読んだだけで、この「名言」がどういう文脈で出てくるのか、またその意味もよく分からず、むしろ三浦しをんの熱情のほとばしりに恐怖を感じた。

 残虐趣味について、道徳的にどうかという選考委員がいて、それへの反論があるのだが、私は単に、残酷描写を読むのが苦痛だったというだけで、ただそれでは作品への批判にならないから、道徳的云々と言っているだけで、話がかみあっていないだろうと思う。

 私も20年くらい前に、タランティーノの映画の残酷描写に辟易して、二度と観たくないと書いたことがあるし、金原ひとみの「蛇にピアス」も、痛そうで初見の時に読み通せず、『芥川賞の偏差値』を書いた時に改めて読んだが、まあ二度読みたいとは思わない。

 これが一般人なら、「残酷描写は観たくない/読みたくない」で済むのだが、作家(詮衡委員)や文藝評論家となるとそれでは済まなくなるというのが実情である。『テスカトリポカ』はノワールと言われており、私はノワールというのは好きではない。もっとも私が選考委員として秤量することになったら、自分の好き嫌いは棚に上げるが、三浦しをんのような熱量をもって評価することはあるまい。

 しかし英文学者の北村紗衣がタランティーノのマニアだったり、『テスカトリポカ』を絶賛するのが豊崎由美三浦しをん林真理子桐野夏生であり、擁護するのが宮部みゆきで、疑問を呈するのが浅田次郎伊集院静北方謙三であるというのは(高村薫は否定的)女は残酷趣味なんだろうかと思ってしまう(山周賞でも三浦しをん江國香織が絶賛しているがこちらは今野敏荻原浩ら男も賞賛している)。うちの妻もアート系キチガイ映画が好きで、私は韓国の「お嬢さん」とかいう気持ち悪い映画を観る羽目になってしまった。

「しかし」の使い方

ウルトラマントリガー」は相変わらず面白くならないが、友達同士の会話に「しかし」などという硬い言葉が出て来ておやおやと思った。

 早乙女愛早乙女愛を演じた「愛と誠」三部作の映画の二作目だったか、冒頭で愛が両親と、太賀誠の処遇について話し合っている時に、愛が「しかし」と言うのでたまげたことがある。これは女子高生が両親と話していて使う言葉ではない。

 逆接の接続詞だというのでついシナリオ作家も「しかし」と書いてしまうのかもしれないが、これはほぼ文章語に近く、日常会話ではかしこまった関係でしか使われないものだ。

伊藤整「火の鳥」の謎

 私が高校生の時使っていた国語便覧(京都書房)に、伊藤整が一ページを使って紹介されていた。

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鴎外、漱石、藤村、芥川、谷崎、川端らが見開き二ページで、太宰、小林多喜二中島敦が一ページだったから、ほう伊藤整ってそんな偉い作家なのかと思った。下に代表作を紹介する欄がありそこでトップに来ていたのが『火の鳥』で、1953年刊行当時ベストセラーになったという。当時チャタレイ裁判や『女性に関する十二章』で伊藤整ブームが起きており、うちにも文学青年だった父の買ったらしい『伊藤整全集』や、『火の鳥』もあった。その後、『氾濫』を読んだりして割と伊藤整を評価したりもしたのだが、『火の鳥』だけは女優を主人公にしたド通俗小説で、特に面白くもなく、なんでベストセラーになったのかも謎であった。ここに書いてある通り、川端康成の『雪国』『山の音』『千羽鶴』と同じように、短篇としてあちこちに発表してからまとめて長編にする形式をとっており、初出は、

1949年2月「むしばめる花」人間
1950年3月「造花」展望
  11月「誘惑」新潮
1951年1月「変幻」小説新潮
1952年8月「火の鳥文藝春秋
1953年1月「渦巻」新潮
   11月「薔薇座」新潮
     11月「猿と人」中央公論文藝特集

   11月『火の鳥』光文社

 となっている。伊藤は若いころ川端の『小説の研究』を代作しており、そのことを不快に思っていたし、戦後臼井吉見に、川端は文壇政治家だと語っており、川端にコンプレックスを持っていたので、真似をしたのだろう。純文学雑誌と中間小説誌にともに載せるあたりが川端張りだが、もちろん今では誰も『火の鳥』を名作だとは言わない。

 昨日、アマゾンプライムに入っていた井上梅次監督・月岡夢路主演の「火の鳥」(1956)を観たが、キネマ旬報ベストテンでも一点も入らない通俗映画だった。もちろん今では国語便覧で伊藤整に一頁が割かれることもない。

 なお伊藤の評論として「近代日本における”愛”の虚偽」を今も引用する人がいるが、これは間違っている。伊藤はキリスト教が恋愛を推奨しているとでも思っているようだが、そんな事実はなく、むしろ近代西洋人が虚偽の上に近代恋愛を成立させたのである。

小谷野敦

 

教養ということ

私は中学二年の夏休みに、三週間アメリカのミネソタ州へホームステイに行った。その前に、持っていくものを買うため家族四人で日本橋三越へ行った。父は会社の給料では足りないので補いのため三越からロレックスの修理の仕事をしており、母が使いとしてよく行っていたからだ。

 そこで、相手の家族に聴かせるレコードを買っていこう、と母が言いだし、レコード店へ行った。まだCDのない時代だから、私は童謡などの入ったレコードを見つくろって見せていたのだが、母が、「なんか、幼稚じゃない?」と言ったのである。

 私は、日本の歌をアメリカ人に紹介するので、こういうのがいいだろうと思っていたので、「じゃあ、どんなものを?」と反問したら、母はフリーズしてしまい、具体的にどんなもの、とまったく言えなくなり、父はといえば、ぼうっとした人だから、自分がなんでここにいるのかさえ分からなかっただろう。それで数分たって、じゃあ買うのはやめようということになった。

 私は今日まで、あの時の凍り付いた母について、ずっと釈然としないものを感じていたのだが、おそらく、北原白秋の詩に曲をつけたものや、「島原地方の子守歌」など、のちに鮫島有美子が出したようなものを、母はうすらぼんやり考えていたのだろう。ところが、私に反問されて、教養がないからまったく具体的に言えなくなってしまったのだ。