「伊豆の踊子」サイデンステッカー訳について

日本比較文学会東北支部編『問題としての「アメリカ」-比較文学比較文化の視点から』(晃洋書房)という論文集が昨年8月に出た。学者の世界では、若い学者の業績づくりのためにこういう「論文集」が量産されている。

 『比較文学』という学会誌が届いたのでパラパラ見ていたら、この本の書評があり、冒頭に江口真規(筑波大学助教)の「川端康成伊豆の踊子』とThe Izu Dancer --アメリカ冷戦期文化政策と翻訳された自然」という論文を評している箇所で、既視感を覚えた。1955年に出されたサイデンステッカーによる「伊豆の踊子」の翻訳が、当時の米国の冷戦における反共政策に協力しているという話だが、私はカナダ留学中に同じ趣旨の論文を読んだからだ。ハリスン・ワトソンの「Ideological Transformation by Translation: "Izu no Odoriko" 」で、ここで読める。

https://www.jstor.org/stable/40246796?seq=1

 「Comparative Literature Studies」91年だ。しかし、江口論文によるとこの論文は『東北学院大学英語英文学研究所紀要』 (18), p73-90, 1989 に載ったものだから、転載されたのだろう。さらに2001年にサイデンの「伊豆の踊子その他」の英訳の書評をドナルド・リチーが書いた際、ワトソンは『ジャパン・タイムズ』に同じ趣旨の意見文を載せ、リチーがサイデンに自ら問うて、政治的意図はないと返答した、とある。

 ところでこのハリスン・ワトソンというのは何者なんであろうか。日本語ができるらしいから日本文学研究者かと思うが、ほかにはこんな論文がある「Ecology,Poetry,Buddhist Meditation--Allen Ginsberg 」Watson Scott Harrison

東北学院大学論集 人間・言語・情報 (97), p213-227, 1990-09

 東北学院大学の英語教師でもしていたのか。

 サイデンステッカーは、反共主義者であり、しかも反天皇制であった。前者は、パステルナーク問題の時にサイデンやロゲンドルフがペンクラブの川端会長らに抗議文を突き付ける一幕もあった。この事実は「反米右翼」である平川祐弘のような人をも刺激し、平川の『アーサー・ウェイリー』では、的はずれなサイデン訳『源氏物語』批判が書かれている。

 ワトソンの論文は、読んだ当時から、とにかく政治的な色あいを見つけようとするバカバカしいものだと思っていたし、今でもその感想は変わらないから、まだこんなものをまじめに受け取る人がいるのかと、少々驚かされた。たかが「自然描写が削られた」くらいのことにCIAの陰謀を見てしまうというのは、どうかしているんじゃないか。もっとも江口は最終的には、サイデンに特段の政治的意図はなかったと言い、「伊豆の踊子」の映画化でも同じ現象は起きていたとするのだが、だとすると何のためにワトソンのバカバカしい論文を再度持ち出してきたのやら、という気持ちになる。

小谷野敦