菊池寛『受難華』文庫化とその解説

 菊池寛の長編通俗小説『受難華』(じゅなんげ)が中公文庫にはいり、現物が送られてきた。手紙によると、私の『忘れられたベストセラー作家』を読んで知ったという。私が『受難華』が面白いと言ったのは『恋愛の昭和史』のころからで、知ったのは90年代に、大学院の後輩の森田直子さん(東北大准教授・日本比較文学会東北支部長)に教えられたからで、森田さんは修士論文で明治の家庭小説を扱っていた。

 しかし、菊地はこの筋をこしらえるために100冊近い西洋の小説を読んだというが、筋はこしらえたが実際に書いたのは横光利一だったともいう。

 だから文庫化は喜ばしいのだが、惜しむらくは解説が良くない。なんで私に書かせてくれなかったのかと思うが、書いているのは酒井順子で、この解説がひどい。『受難華』は三人のヒロインの結婚などを描いているが、中心となる女性は結婚前に別の男とセックスしてしまい、処女ではなく結婚したことで悩んでいる。ほかにも、夫となった男が講談雑誌を読んでいるので、下等な趣味だと軽蔑する場面が、講談周辺の人の間で問題にされることがある。

 しかるに酒井は、このようなセックス観は日本では近代的なもので、江戸時代は、武士はともかく庶民の娘は、おおらかな性の喜びを謳歌していた、などと書いている。20年前にはやった「江戸時代の性はおおらか」論だが、これは間違いである。第一に、「不義はご法度」は庶民の娘にも当てはまったので、酒井はお夏清十郎を知らないのか。ないし、それが裕福な町人の世界に限るとみるにしても、そもそもコンドームがない時代に未婚の娘が大らかな性の謳歌などできるはずがないではないか。そういうことは私がくりかえし言って来たのに、今なお目にするというのは絶望的な気分にさせられた。

小谷野敦