呉智英さんと私(2)

 まだあった。私は渡辺京二の『逝きし世の面影』を天下一の愚書として批判しているが、平凡社ライブラリー平川祐弘の解説がついて入ったころ、満天下がこの書を礼讃していて、呉智英も例外ではなかった。これこそ「シラカバ派」だろうにどうボケてしまったのか。私は自分は評価しないということを伝えたはずなのだが、当時連載中の「マンガ狂につける薬」には、「小谷野敦によると、この本はアカデミズムでは評価されていないようだが」と書いてあったからたまげた。私は、自分が評価しない、と言ったのである。これではまるで私は評価しているみたいではないか。

 あと、どの本だったか、日本の女性学者は、西洋人と結婚すると「ソーントン不破直子」みたいに名乗るが、アジア人と結婚しても「李光子」みたいに名のらない、と嫌味で書いたことがあったが、それを送った礼状で呉さんは「同姓不婚だからでせう」と書いてきたのである。どういう意味か、頭をひねったが分からないので、返事を書いて勘違いではないかと指摘した。