「山崎正和オーラルヒストリー」書評(週刊朝日)

 七十歳を過ぎたような学者の知り合いには、私はことあるごとに、自伝を書いてくださいと言うことにしている。学者の自伝は最近好きでだいぶ読んだが、何といっても学問的にも、時代の雰囲気を知る史料としても面白い。とはいえ、自伝であれ伝記であれ、「まんじゅう本」はどうもかたわら痛い。つまりキレイゴトに満ちた、誰それ先生は偉かった式のものである。
 山崎正和は、自分で書くのではなく、数人の信頼する後輩学者によるインタビュー形式で、自伝をものしたと言えるだろう。パッと見たところ、これもキレイゴト本に見えるかもしれない。ところがどっこい、山崎はそんな人ではなかった。
 十年くらい前に何回かに分けて採録され、内部ではすでに出ていたのが、やっと公刊されたらしいが、裏話が実に面白い。特に、山崎の論敵となった江藤淳が、大磯で開かれた吉田茂をめぐるシンポジウムに来た話はすごい。かねて加藤典洋が、この時の吉田茂批判以来、江藤は「反米」になったのではないかと言っており、私もそう思って、その前提となったシンポジウムで何かあったなと睨んでいたのだが、果して、江藤は吉田茂批判をして、シンポをぶち壊しに来たのだと山崎は言い、帰りにタクシー券を渡したら、わざとなのか、江藤はそれで軽井沢の別荘まで行ってしまい、タクシー代が出演料を超えたという話を披露してくれる。この後、江藤による「ユダの季節」という粕谷一希、山崎、中嶋嶺雄批判の文章が出るのである。
 山崎が差配しているサントリー学芸賞の創設についても、選考委員になると受賞できないので、芳賀徹ははじめ選考委員にせず、三回目に受賞してから委員にしたなど、私も気になっていた舞台裏が明かされる。
 あるいは、一九六四年頃の京都での話だと思うが、泥酔して自殺すると叫ぶ高橋和巳を、山崎と河出書房新社寺田博がホテルまで抱えて連れていき、その間に河出の坂本一亀が素早く高橋の愛人に話をつけた、とか、関西文化圏の、山崎・サントリーグループと勢力を二分するかに見える、梅原猛との関係についても、梅原と山崎の対談で、梅原が怒りだしたという裏話も披露されて、山崎ー梅原の緊張関係をうかがわせて面白い。
 山崎といえば、劇作家であり、演劇美学の研究者であり、文学・文化の評論家でありと多様な側面をもつが、学問と文壇の橋渡しをした人とも言える。もちろん、一般には「文藝評論家」などと呼ばれる。実は私は若い頃、山崎や梅原猛のような、学問と文壇の中間あたりにいるような人に憧れて、自分もそうなりたいと思ったりしたものだが、時節は変わって、山崎が著作集を五十前に出したようなことは、今では売れっ子の評論家でも起こらない。
 政治的には保守派とされることが多いが、丸谷才一とともに、左翼的な部分もあって、その何とも言えないところが面白い。コロンビア大学でキャロル・グラックに世話になったが、そのあとでグラックは山崎を保守派として批判し、天皇制に反対だったのに天皇から勲章をもらったとか、山崎の著作の英訳を妨害したとかいう話も出てくる。
 だが、ここから山崎正和本人に関して得られる情報は少ない。そこがやはり自伝の限界で、山崎に関する情報は、誰かほかの人の著作から得るべきものなのだろう。同じころ『亀井俊介オーラル・ヒストリー』(研究社)も刊行されたが、これについても似たようなことが言える。
 大学院へ行っていない大学教授というのもいるが、大学院へ行く効能の一つは、学界の複雑怪奇な人間関係を学ぶことである。それをゴシップでしかない、学問ではない、と汚らわしげに退ける人もいるが、紫式部が「日本紀などは、ただ片そばぞかし」と言わせたように、公式の学問史などというのは表面をなぞっただけである。