綿野恵太VSスティーヴン・ピンカー

『群像』七月号に綿野恵太の「ピンカーさん、ところで、幸せってなんですか?」が載って、ピンカーよりフーコーのほうが好き、などと綿野君が言っていたのだが、『群像』は一か月たたないと図書館で借りられないので今日やっと借りられた。

 『21世紀の啓蒙』の話だが、私の書評から、「死の恐怖と実存的退屈、孤独の問題」をピンカーは処理しきれていないという個所を引用しており、別段全体としてピンカーを否定しているわけではない。いろいろ社会が良くなっても不満を感じる人がいるというところからピンカー著とは直接関係ないところへ話は進んでいた。もっともこれも、綿野君が著書で言っていた通り、バブル経済の時には少なかった傾向であり、経済が悪くなると出てくるものだと言えるだろう。

 ところで「やましさ」という言葉が何度か出てきたが、これは貧しいといってもピンカーの著書が買えるくらいの人が、最底辺の貧しい人に対して感じる類のものらしい。ただ私は、自分は比較的貧しい家に生まれてよくやってきたなあ、と思っているので、その手のやましさは感じない。地主や教授や官僚の家に生まれた東大院生をうらやんだり憧れたり呪ったりして生きてきたからである。綿野君は意外に実家が太いんじゃないか、という気がした。

小谷野敦