音楽には物語がある(1)あずさ2号 中央公論2019年1月

 兄弟デュオ「狩人」のデビュー曲にして唯一のヒット曲「あずさ2号」は、一九七七年のリリースで、当時私は中学校三年生だった。
 「八時ちょうどの、あずさ2号で」と、歌の語り手であるヒロインは「春まだ浅い信濃路へ」、恋人を置いて別の男と旅立つのだが、当時実際朝八時に下りのあずさ二号が運行していた。作詞は龍真知子、作曲は都倉俊一で、ピンクレディーの曲はほぼ都倉の作曲という当時のヒットメイカーである。今でもあずさ、スーパーあずさという特急が運行しているが、「八時ちょうどの下り」あずさ二号はない。
 ところでこの歌詞はどういう意味なのか。それまでの恋人とはなぜ別れたのか、必ずしも人々は分かって聴いていたわけではないようだ。私が大学生の頃、劇作家の鴻上尚史が、これはお見合いだ、お見合いして結婚して恋人と別れたのだ、と書いていたが、そうじゃなくてもとの恋人は妻もち、つまり不倫を清算する話だろう(鴻上もそのつもりだったかもしれない)。その二年前のヒット曲・都はるみの「北の宿から」も、作詞の阿久悠ははっきり、不倫を清算して女は信州あたりの宿に滞在して男が忘れられずに着てもらえないセーターなど編んでいるのだ、と言っていた。こちらはむしろ、青森じゃなくて信州か、と驚く。
 その翌年、七八年三月に、当時人気絶頂「お嫁さんにしたい女優ナンバーワン」と言われていた竹下景子が、デビュー曲「結婚してもいいですか」を出した。鎌倉を舞台に、恋人のいる若い女のところへ、母親がお見合い話を持ってきて、「結婚してもいいですか」と男に問いかけるところから始まる。当時私は竹下さんのファンだったから発売日に買いに走った。ところがこれも、よく意味が分からない。中里綴の作詞だが、結局何のことはない、これも「不倫脱却」の歌なのである。
 ところが、そのシングル盤発売日のテレビ「スター千一夜」に竹下が出演した。司会は関口宏で、すでにその時点で、二十四歳の竹下が、写真家の関口照生、つまりのちの夫と交際していることはすっぱ抜かれていて、関口宏も軽くそれに触れたりしたのだが、いざそのデビュー曲の歌詞について、なんでその恋人とは結婚できないんですか、と関口が訊いた時、竹下が「さあ、なんか煮え切らないんじゃないですか」と答えたのだ。
 だが今になって考えたら要するに妻ある男との不倫の歌で、関口も竹下もそれは分かっていたのではないか。そう思うと、この当時の歌謡曲の「女歌」の多くは、男が妻もちの不倫だったような気がしてくる。中条きよしの「うそ」「理由」なども、いかにも子供には分からないという風な男女の淫靡さを漂わせて、そうらしく思えるし、三善英史のこれもやや意味不明なヒット曲「雨」ももしかしたらそうかなと思えるし、疑えば、当時十六歳の小坂明子の自作自演の大ヒット曲「あなた」もそうじゃないかとすら思える。
 だがその逆、つまり人妻が夫以外の男と恋愛している歌謡曲というのは、とんと見当たらない。もっとも金井克子の「他人の関係」とか、ジュディ・オングの「魅せられて」などは、あるいはそうかとも思える。
 「妻ある男との不倫」歌は、分かっている人は分かっているのだがはっきり言わないという、公然の秘密めいたものになっているようである。川端康成の『雪国』の、「君はいい女だよ」というセリフが、名器のことをさす(と受け取られた)とは、私はあとになって論文を読むまで知らなかったのだが、分かっている人には分かっていたらしい。どうも世間にはそういうことがあるらしい、と思ったのである。