「昨日・今日・明日」(デ・シーカ)中央公論2018年1月

 ヴィットリオ・デ=シーカといえば、戦後のネオレアリズモ映画、「自転車
泥棒」と「靴みがき」で知られる。私は学生のころ、テレビで放送されたこ
れらの映画を観て感心したものだ。
 一般論として、自転車を盗まれるというのは実に嫌なものだ。当面、家へ
帰るのに難儀しなければならないし、盗難届を出しても本気で捜査などしな
いからまず返ってこない。突然自分が哀れな貧困層に落とされたような気分
になる。
 ところが、それから少しして、デ=シーカの「ひまわり」を観て、いたく
失望した。ひどく大味で、色もけばけばしくて、そのけばけばしさがソフィ
ア・ローレンをさらにけばけばしく見せていた。
 ソフィア・ローレンは、有名だが日本であまり好きな人はいないだろう。
ミクシィのコミュニティでも三十二人しかいない。だから、同じマルチェロ
・マストロヤンニとローレンの「昨日・今日・明日」も敬遠して観ずに三十
年近くが過ぎた。
 ふと、観る映画もあまりないのでこれを観てみたところ、いいのである。
これはいずれもマストロヤンニとローレンを主役にした三話のオムニバスで、
それぞれ地域も境遇もまるで違う。第一話は貧しい夫婦の話で、借金のため
に逮捕されるが、妻は妊娠中は逮捕できないので、のべつ妊娠していること
にして、子沢山になってしまう、という話。第二話は金持ちの人妻が高級車
を走らせていて、作家の男と知り合い、浮気するつもりで男が運転を変わるが、
女の振りまく色気のせいでブルドーザーに衝突してしまうというコメディ。
第三話は、高級娼婦の女が、隣の部屋に住む神学生と親しくなってしまうと
いう話だが、これは隣といっても建物の屋上の部屋で、間に植木などの置い
てある橋があって、二人はだいたいそこで会話している。
 映画は尺を満たすために無理に長くすることがあるから、これはオムニバ
スゆえに成功したものと言えるだろう。『ひまわり』に不満な人はこちらも観
てみるといい。