「ユキエ」(松井久子)中央公論2016年8月

 芥川賞の受賞作で未読のものをまとめて読んだ時、吉目木晴彦の『寂寥郊
野』だけは、題名や、作家がその後あまり書かなくなったこともあって、読
みおとしていた。それがふと古本屋でその文庫版を見つけて買ってきた。そ
れには、「ユキエ」の題で映画化されたとあったが、私はそういう映画があ
ったことも知らなかった。
 原作を読んだのと、ビデオを借りて映画を観たのとどっちが先か忘れたが、
この原作は、芥川賞受賞作としては珍しい名作だった。吉目木は、二歳で実
父を失い、農学者吉目木の養子になり、養父がルイジアナ州立大学客員教授
になったため、ルイジアナバトンルージュで過ごした。その時の見聞を短
章形式で描いたのが『ルイジアナ杭打ち』で、そこで知り合った日本女性の
一人をモデルにしたとおぼしいのが『寂寥郊野』である。アメリカ人と結婚
して、二人の息子が成人した日本人女性ユキエが、認知症になる話だが、瞠
目したのは、ユキエが日本語でしゃべりだし、息子らはそれを理解できるが
夫は理解できないという場面だった。
 芥川賞には、「国際結婚」ものの系譜があって、山本道子の「ベティさん
の庭」や米谷ふみ子の「過越しの祭」などがあるが、いわゆるカルチャーシ
ョックとかいうものは、あらかたは言語の壁から起きているものだ。
 どういうものか、小説でも映画でも、そこのところを描くことはめったにな
く、アメリカへ行けば行ったで英語が完全に分かるかのように描いているも
のが多いのだが、そうでないものがあっただろうか。もしかしたら、母語
ない言語を習得するのはたいへん難しいということを隠したい勢力があって、
それが手を回してでもいるのだろうかと勘繰りたくなるくらいだ。
 吉目木は芥川賞をとったあとは、一編の長編を書き、あとはほとんど小説
は書かなくなり、今は広島の安田女子大学で教えている。優れた作品さえ書
けば、あとがどうなっても読者にとってはどうでもいいようなものだが、吉
目木の作品自体がほとんど読まれていないのは残念だ。講談社文芸文庫で復
刊すればいいのに。