節子の恋(3)

 岸本は自分の二階の方で節子と二人になった時、こう彼女に言った。
 「私たちの関係は肉の苦しみから出発したようなものだが、どうかしてこれを生かしたいと思うね」
 この言葉に節子は喜んで、
 「私だって叔父さんについて行けれると思いますわ――何でも教えてさえ下されば」
 「お前のことを考えると、何かこう道徳的な苦しみばかり起って来て困ったもんだ」
 「私だって……」
 「こういう関係から言っても、お前の家族と私たちとで別れて住んだほうがいいと思うんだがね」
 「ええ」
 岸本は、節子の家族と自分らが別れて住んだほうがいい、といったここうした二人の心持から言っても岸本は別れ住むことが互のために好いと考えることを節子に話した。
 節子は、思うことをうまく言い表し得ずに、沈黙がちだった。岸本は、
 「節ちゃん、お前はいつまでも叔父さんのものかい」
 と訊いた。
 「ええ――いつまでも」
 涙ぐみ、すすり泣きながら節子は声を呑んだ。
 経済的に、節子の一家は窮迫していた。多くを岸本に頼る状態だった。岸本は、一家を根津のほうへ移すことにし、祖母だけが高輪に残ることになった。節子は、時々手伝いに戻るということで、家族たちと根津へ移った。
 五日ほどして、岸本から節子に分厚い手紙が届いた。開封すると、薄い手紙のほかにさらに封筒が入っていた。薄い手紙のほうは、母が見ても大丈夫な手紙だったが、封筒の中の分厚な手紙は、ほぼ恋文だった。
 「節ちゃん
 フランスへたくさんの手紙をありがとう、そして返事をせずに済まなかった。
 こないだ節ちゃんに、なぜあんなに手紙をくれたのか聞きましたね。分かっていたのに、叔父さんは気づかないふりをしていたのです。
 叔父と姪という関係は許されないもので、添い遂げようとすれば世間と徹底的に戦わなければならない。私はそれが怖かったのです。・・・」

 節子は返事を書いた。
 「わたしは心から微笑みました。幾年も笑ったことのない人になっておりましたのに……何もかもお話しますと申上げましたね。とうとうその時が参りましたよ。わたしはその時がこんなに早く参ろうとは思いませんでした。少なくも二三年は待たなければならないかと思いました……私どもの創作は、最初こそあんなでございましたけれども、間もなくわたしは長い間自分の求めていたものであることを見出しました。けれども、その頃は叔父さんは、ちっとも御自分のお心を開放しては下さいませんでした。それからあの三年の長い間、何一つ小さな物の影すらわたしの心に射すことは出来ませんでした。富も栄華もわたしの心の糧ではございませんから……旅からお帰りに成って半月ほどの間、なんにも咽喉を通らなかったほどのこの大きな喜びは、誰のところへ参りましょう。そうしたものにのみ与えらるる唯一の物ではございますまいか。あの低気圧の何であったかは、ようやくお解りでございましょう。どうぞ長い間のこの心を、そして心からの微笑みを御受け下さい」
 節子は恋愛のことを「創作」を呼んでいた。
 それからほどなく、節子は弟の一郎と一緒に高輪を訪ねた。岸本や祖母さんに会い、一緒に写真を撮った。岸本は節子を写真屋まで使いにやったが、雨がぱらつき始めた。節子は女物の雨傘を半ば広げながら、玄関先から家の中の岸本に、
 「どうしましょう、よしましょうか」
 と言った。岸本は彼女の帯の間に、自分一人で撮ってくるだけの金を潜ませた。写真は無事撮影され、節子は、また手伝いに来ると言って、そそくさと帰ってきた。あの手紙のやりとりのあとで初めて岸本に会い、節子はひそかに胸を震わせていた。
 節子には従姉にあたる愛子が、自分の学友を岸本に妻として勧めていた。節子は今度は一人で岸本を訪ねて、それがどんな具合か尋ねた。岸本は、断りの手紙を書いたと言ってそれを節子に見せた。節子はほっとした。
 「折角骨折っても、どこかへ持って行かれてしまったら、ほんとにつまらないね」
 などと脈絡なく岸本はぼそりとつぶやいた。節子にはすぐ意味が分かって、
 「持って行かれてしまうなんて――どこへも行かなければいいじゃありませんか」
 と言って節子は微笑んだ。
 岸本と二人でいて、節子の目には輝きがみなぎるようだった。
 根津へ帰った節子は、短い手紙を岸本に送った。
 「どんなに多くの御不自由を御忍びなさることか。それも私ゆえと思いますと、本当に苦しゅうございます。どうぞどうぞすべてをお許し下さいまし」

 十一月、すでに冬になっていた。その九日、葉山の日蔭茶屋で、神近市子が無政府主義者大杉栄を刺すという事件が起きた。大杉の命に別状はなかったが市子は傷害罪で逮捕された。これは市子の愛人だった大杉が、伊藤野枝に乗り換えたことによる嫉妬から起きた事件だった。節子は新聞で知り、衝撃を受けた。
 手伝いのためたびたび岸本を訪れていた節子は、五年ぶりに岸本をその体に受け入れていた。
 それは深い接吻から始まり、かつての罪に怯えつつの抱擁とは違った、力強いもので、節子は涙を流して歓喜に震えた。
 「叔父様がフランスにいらした時は、淋しくて淋しくてお写真を抱いて呼んでいましたのよ」
 と、節子は叫ぶようにして言った。

 「自分にはもう悲しみということがなくなった」
 節子は自分の手帳に鉛筆で書きつけて岸本のところに置いていった。その中には、 「どうもまだ、からだの具合が悪い、それにつけても葡萄酒はつつしまなければいけない」とも書いてあった。二人の間にはいつの間にか種々な隠し言葉が出来た。「葡萄酒」もそれで、パンを主の肉に代え葡萄酒を主の血に代えるというキリスト教の儀式から意味だけを借りて来たのだ。
 ある日、岸本が根津の家を訪れた。
 「まあ、叔父さん――」
 声を掛けながら、節子は暗い格子戸の内から掛金をはずした。
 岸本は、ちょっと短い旅に出るので、その挨拶に来たということだった。何も知らない父も母も、温かく岸本を迎えていた。
 「節ちゃん、お前の部屋を借りてもいいかね」
 「ええ。どうぞ」
 「今日はゆっくり手紙でも書きたい」
 「根津の家の二階の三畳から御便りいたします」と節子が引越の当時岸本宛の手紙を書いたのが、その部屋だ。節子はお茶を入れて持って行った。岸本は、
 「節ちゃん、どうぞ関わずに置いて下さい。お茶だけ御馳走して貰えばそれで沢山です」
 と岸本は言い、
 「叔父さんは今日から旅サ。今夜は宿賃を払ってお前の家に泊めて貰いますぜ」
 と冗談半分のように言って笑った。
 節子は、新しく仕立てた唐桟の綿入を取出して来て叔父に見せた。それは高輪へ行く時の仕事着にと言うので、質素な唐桟の布を見立てさせて、岸本が彼女に買い与えたものだった。
 「お母さんが縫って下すったんですよ」
 と節子は言って、彼女の女らしい喜びを分とうとした。次郎が階下から上って来た。次郎は嬉しそうにそこいらを踊って歩いたり、姉の側へ寄ってとりついたりした。
 「次郎ちゃんもいい子になりましたね」
 と岸本が言うと、次郎は姉の手にぶらさがるようにして戯れた。
 「高輪にいた時分から見ると、よほどこれで違って来ましたよ」
 と節子は岸本に言って見せた。
 母親に呼ばれて、節子は弟と一緒に階下へ降りた。
 節子の弟たちは、珍しい叔父が来たのではしゃいで二階へ上がったり降りたりしていた。節子は岸本のそばへ行って、
 「泉ちゃんや繁ちゃんが大きく成ったら、何と思うでしょうねえ」
 そんな僅かな言葉をかけるのが楽しみで岸本の側へ寄ったのだ。岸本は、
 「何と思われたって仕方がないじゃないか。ただ、真実によく知って貰いたいと思うね……大きくなって解りさえすりゃ、私らの心持を認めてくれる時もあるかもしれない」
 こう岸本の方では答えたが、それきりもう二人はそんな話をしなかった。
 父と岸本は二人で郷里の信州へ旅をしてきたが、その年の暮れになって、父が重い眼病を患い、一家の苦難が始まった。節子も医者へ連れて行ったりしたが、心労も加わって帰宅後倒れていた。
 「節ちゃん、お前まで弱ってしまっちゃいけないよ」
 岸本は疲れて倒れている節子を励ますように言って、彼女の眼に涌いて来る涙をそっと自分の口唇で拭うようにしてやることもあった。
 師走ももうあと三日ほどになり、節子は岸本に短い手紙を送った。
 「あの聖書の中に、汝等求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらば遇わん、叩けよ、さらば啓かれんというところが御座いますね。もう少し前のあたりから、あの辺は私の好きなところで御座います。オオ叩けよ、さらば啓かれん――わたしどもはきっと最後の勝利者でございますね」
 と鉛筆で書いた。あの苦難以来、聖書は節子の愛読するところであった。
 三十日になって、また節子は短い手紙を岸本に書いた。
 「わたしどもほど、幸福な春を迎えるものがまたとございましょうか――」
 大正六年が明けた。節子は岸本が造ってやったコートを着て遠路を通うようになった。それまで彼女はよく途中から寒い雨に濡れて来ていたから、心配して作ってやったのであった。
 「コートなんかはなくても済むものだなんて、お父さんが喧しいことを言いますからね――まだお母さんだけにしか見せていません」
 と言いながら、節子は玄関に畳んで置いてあった新しいコートを奥まで持って来て、岸本の見ている前で袖を通したり、紐を結んで見せたりした。彼女は新規に誂えるまでもなく、松坂屋あたりの店で見つけた出来で間に合わせて、唯寸法だけを少し詰めて貰ったとも言った。
 「私が着ていたって、お父さんは知らずにいますよ」
 と節子は言って、眼の悪い父親の噂をもした。
 節子はおおむね毎週土曜日に岸本を訪ねていた。今では一日置きに父の付添で病院通いをしていたが、岸本の所へ来るのは怠らなかった。
 岸本は途中まで節子を迎えに出て、二人で高輪まで歩いていくこともあった。
 家の近くまで来た時、節子はこう言い出した。
 「私はもう男になりましたよ。お父さんはあの通りですし、一ちゃんでも次郎ちゃんでもまだ小さいんですし、お母さんと二人で話をしましてね、私はもう男になりましたから、そのつもりでよくやりましょうねッて――」
 家に着くと岸本は、
 「俺はもう一生、誰にも自分の心をくれないつもりだった。到頭お前に持って行かれてしまった」
 などと男にでも物言うような語気で言ったから、節子は驚いた。
 「まあ、あんな調子で物をおっしゃるなんて――」
 と節子はすこし側へ眼をそらして半分独り言のように言った。
 岸本は、
 「今まで俺はあんまりお前をいたわり過ぎたと思って来た。女の人だと思っていたわり過ぎるということが、結局本当の話をさせないんだと思って来た。節ちゃん、お前は一体俺みたような人間のどこがいいのだ? 髪はもうこんなに白くなって来たし……俺なぞはもうそんなに長く生きてやしないんだぜ。もっと若い人で俺なぞより気の利いてる人がいくらあるか知れない。どうだね、そういう人でも一つ探してみる気になったら……」
 半分は心やすだて、半分は冗談のように、岸本はこんなことを言って笑った。節子は、それを聞いて嫌な気持ちがしたが、
 「そんなら、これから探しましょうかね――せいぜい若い人でも」
 とふざけたように言って苦笑に紛らわした。彼女はもうこんな話を避けたいという様子をした。岸本は話頭を転じて、
 「さっきお前の途中で言ったことサ――俺はあれを思い出した。お前も苦しんで考えてると見えるね」
 と言って節子の顔を見た。
 「そんなに無理に男と言わなくてもいいんじゃないか。女でもいいじゃないか。大きな悟りの心を想ってごらん、魂を浄くすることができるものなら、肉を浄くすることもできるんじゃないか――」
 節子は微笑した。
 その日の午後、岸本がフランス滞在中、日本の新聞に書いたアベラールとエロイーズの話が出て、二人でその話をしていて、おのずと自分らをこの中世の愛人たちになぞらえる気分になっていた。
 「そうだねえ。添い遂げられない人たちはすぐ破滅へ急いでしまう。ああいう二人のように長く持ちこたえて行くなんてことは容易じゃないね」
 岸本が言い、節子は熱心にその話に耳を傾けていた。
 またアベラールとエロイーズについて書いたものでも手に入ったら見せると言われて、節子は帰っていった。だがそのあと手紙を出して、
 尤も岸本の皮肉は節子の胸にこたえたと見え、彼女からは用事の手紙の端に次のような言葉を書き添えてよこした。
 「あんなに御いじめなさらないで下さいな。沢山沢山御話したいことがあるけれど、御自分で話されないようにしておしまいなさるんですもの」
 としたのは、「若い男でも」の件が胸に応えたからであった。
 春が近づいて来た。節子は手帖にこんなことを書きつけて、岸本のところへ置いて行った。
 「自分はなぜこんなに奥深く思いを秘めて置かなければならないのか。もうちっともそんな必要はなくなった。それなのに、胸に溢れるほどの思いもそれを言いあらわすべき言葉を奪われてしまった人のように、どうしても外にあらわすことができない。長い長い沈黙――恐ろしいものだ。私は話したい、早く早く自由に思いのままを話すことができたら、私はどんなに嬉しかろう」
 それから、難破船の乗組員のような心持が随分長く続いたが、今はもう自分の多病なことも何もかも忘れて君と共に生きたいと思うと書いた。昔の人の遺した歌になぞらえて、上野の杜にからすの啼かない日はあっても君を恋しく思わない日はないとも書いた。
 三月に入り、岸本の長兄の娘である、節子の従姉の愛子が岸本を訪ねた翌々日、節子が岸本を訪ねると、岸本は、
 「お愛ちゃんがお前を褒めていたぜ――人が違ったように元気になったとかって。なんだか俺は自分が褒められたように嬉しかった」
 節子は寒さに弱かったから、三月といってもまだ寒さがしばしばぶり返して苦しむこともあった。
 岸本は折を見て、節子のために下町の方で見つけた男の子の人形をそっと取出した。ただ用たしに行ったついでに見つけて買ってきたのだった。それを節子の袖の下へしのばせた。
 節子ははらはらと涙を流してすすり泣いた。歔欷の声が、祖母さんや書生の久米や女中にまでも聞えそうで、岸本は狼狽し、
 「節ちゃんはどうしたんだねえ」
 などと大きな声を出して、家にいる者たちの手前を取り繕おうとした。節子は部屋の隅の方へ立って行って、袖で声を抑えながら、忍び泣きに泣いた。
 翌朝節子は、その人形を風呂敷包の中に入れて根津の方へ帰ってきた。そして岸本に宛てて「捨吉様」という宛て名での手紙を書いた。そして、その人形から失った男の子を思ったと書いたが、書かないと気づかないかのような叔父の鈍感さだった。
 節子は次のような短歌を数多く作って岸本に送った。

「恋ふまじきおきてもあらで我が歩むこゝろの御国安くもあるかな
 かゞやける道あゆみ行く二人なり鴛鴦のちぎりもなど羨まむ
 我がをしへしのぶにいともふさはしき春さめそゝぐ夕ぐれの窓
 夕ぐれの窓によりては君おもふわれにも似たる春のあめかな
 君をおもひ子を思ひては春の夜のゆめものどかにむすばざりけり
 いくとせか別れうらみし我身にもまたとこしへの春は来にけり」

(つづく)