妻の事故

 六月九日の日曜日、夕飯のあと、妻は郵便局へ行くと言って出掛けた。ほどなく雨が降ってきたが、断ニコ(私は煙草をやめたあと口中に入れてニコチンをとるスヌースというのを一年やり、さらに前年八月からそれをやめていた)以来、夜九時になると寝る習慣の私は、すぐ寝た。すると電話が鳴っている。起き出して出た時には、別に不吉な予感はなかった。妻で、いま交通事故に遭ったと言うから驚いたが、妻は私が心配症の神経症なのを知っているから、努めて明るい声で、大したことはない、いま救急車を呼んでいるから来てくれと言う。
 私はパジャマを脱いで着替えると、ニコチンガムをポケットに入れ、外へ出ると雨が降っていたから、傘をとって自転車に乗った。するとマンションの大家さんに会った。そこで「妻が事故に遭ったというので」と言うと「それは心配ですね」と言う。
 自転車を走らせると、井の頭通りへ出る曲がり角のところが人だかりになって四、五人の人がいた。角のところに妻が座り込んでいるようで、肩から毛布をかけられ、後ろから傘をさしかけている青年がいる。うしろに坊主頭の男が立っていたから、これが自動車を運転していたやつか、と思ったが、傘をさしかけていた青年だった。
 妻がこの道を帰ってくる時、左折しようとした車の運転手つまりその青年が、ブレーキと間違えてアクセルを踏み、妻はそれを避けるためフェンスに激突したらしく、車そのものに当ったのではないらしい。
 ほどなく救急車が来て、妻はストレッチに載せられて搬入され、私も脇に乗り込んだ。妻はさすがに青ざめていたが、我慢強い人なので、あとで聞いたらそれまで待っていた時に寒さが襲ってきて苦しかったという。左手小指が折れていたので、ひどく痛い、と言う。
 これから病院へ行き、応急処置をして今日中に帰宅できたらいいが、と思った。近くに浜田山病院があるのだが、救急隊員はせわしなく電話をかけていて、しかし軽傷だということで五軒の病院に断られ、新宿の国立国際病院というところへ行くことになった。やっと出発したのはもう十時だった。患者が多いのでけっこう待つことになる、と隊員に言われた。
 私は子供のころ二度、本格的に車にはねられる事故に遭っているが、果たして救急車に載せられたかどうかは、いずれも記憶がない。
 けっこう遠くて、病院に着いたのは十時半、私はいきなり右手の時間外外来の受付へ回され、そこで書類を書いた。字はしっかりしていたが内心はガクガクで、妻とはこれ以来長く会えずじまいである。数人の人がそこにはいたが、夜中に病院へ来る人のつきそいだからみな暗い感じは拭えない。本来は寝ていたはずだが緊張しているからあくびも出ない。読む本ももちろん持ってこないがあったとしても集中できないだろう。
 とにかく私の妻はいい人で、数日前の夕食の席で、私が高校へ入った時知り合いなんか一人もいなかった、と言ったら、かわいそうと言って涙を流した人である。
 院内の地図を見ると、妻は「ER」にいるらしい。「コードブルー」とか、ドラマの世界だが、現実はドラマのようにはいかない。トイレへ行ってこっそり電子タバコを喫ったり、脇へ回って自動販売機のレモンティーを買ってきたりした。ほかの待合人には、受付から声がかかったり、看護婦が呼びに来たりする。私の前にいた四十代かと見える女性のところへ看護婦が来て、「肺気腫、肺炎、敗血症」「延命治療」などという語が耳に入って暗い気分になる。
 看護婦が「小谷野さん」と言いながらやってきたのは、もう十二時を回っていた。ところが、治療が済んだ、ではなく、「患者さんが排泄をした際に衣服が汚れてしまい、生理もきた」というので手渡されたメモ用紙は、下に「精神科」と印刷してあり、黒のズボンかスカート、ショーツ、生理用品、と書いてあって、それを地下一階の売店で買ってきてくれということである。私は「あの、今夜入院とかいうことになるんでしょうか」と訊いたら「いや、それは今先生と話をしているところで」とだけ言って行ってしまう。
 私は妻が失禁するような状態なのかと怯えつつ、地下へ行って売店を探した。そこ以外は暗いところが多い。ショーツと生理用品は見つかったがズボンまたはセーターというのがないので、店員に訊いたら、奥から持ってくると言い、別会計だと言う。
 戻ってきて受付に告げると、さっきの看護婦がとりに来たので渡し、ということは診察はさっき始まったところだな、と考え、終わるのは一時十分くらいだろうと心づもりした。
 もう七八年前に、妻が海産物の生ものに当って目が腫れ、夜間に久我山病院へ行ったことがあるが、その間に若いカップルが来て、男のほうが、風邪なんだが症状がひどい、と訴えていた。この時も途中で若い男がのっそり入ってきて、「風邪だと思うんだけど・・・」などと言っていた。不摂生な生活をしてるんだろうな、と私は思った。
 やはり、一時過ぎに、受付から、「処置室へどうぞ」と言われ、そちらへ向かったが、大きな部屋がカーテンで区切られているだけで、どこか分からずにいると、「こちらです」と手招きする女性がいたので、行くと左手、妻が寝ていた。若い男の医師が立って説明を始める。大きな怪我は左手小指の骨折で、包帯が巻かれていた。妻は支えられて立ち上がろうとしたが、右脚がしびれてうまく立てない。看護婦が言って、車いすに乗せ、さっきの受付まで押してくれた。妻はそれでも元気でよくしゃべった。
 妻の話では、隣の仕切りに交通事故を起こした中国人留学生が搬入されてきたのだが、日本語ができず、若い医師が英語で話しかけていたのだがそれもおぼつかず、「アレルギーはありますか」を「ドゥユーハヴアレルギー?」と言っていたという。英語ではアレルギーはアラジーである。阪大で教えていた時は医学部の学生が一番英語ができたのだが、医師がアラジーが分からないとは。私たちが受付へ戻ったあと、処置室から「うおー、うおー」という男の悲鳴が聞こえてきて、妻が顔をしかめて、あの中国人留学生、お金もないみたい、と言っていた。私は事故がひどくて悲鳴をあげたのかと思ったが、医者の処置で、らしかった。

 会計を済ませようとすると、交通事故だと保険証は使えず、相手方からもらうことになると言われ、同意書か何かを書いた。そのあと地下で薬をもらってくれというから妻の車いすを押そうとしたらすごく重い。ストッパーがかかっているのに気づかなかったのだ。あとで「ブレーキが掛かっていた」と言ったら、妻は「トラウマでブレーキとかいう言葉は聞きたくない」と言った。
 あとはタクシーを呼んで帰るのだが、車いすをどこへ置いていったらいいのか分からず、夜間出口にいたおじさんに訊いたら、たびごとに言うことがまちまちだった。結局外へ出て、そこにいた別のおじさんに声を掛けられ、そこに置き捨てていいと言われた。
 妻はよちよちながら歩くことはでき、タクシーに乗って家へ向かった。途中で歌舞伎町の脇を通ったので、私は初めてあの病院が新宿の東側にあったのだと知った。
 しかし、これからやることが山積している。事故現場には、妻の曲がった自転車と私の自転車が乗り捨ててあるから回収しなければならないし、警察に連絡し、運転手との示談交渉をしなければならない。これは友人の弁護士に任せることにした。妻はこれから近所の整形外科に行って再度診てもらうよう言われている。
 三時近くなってようやく家にたどりついた。断煙してからこんなに遅くなったのは初めてだった。とりあえず無事妻と家に帰りついたが、もちろんまだ緊張と不安は残っている。ダブルベッドで、私は左手の壁際、妻は右側に寝て、私が取り替えようと言っても妻は壁際は嫌だと言い頑として聞かなかったのだが、私の寝相が悪くて妻の怪我した左手に押しかぶさったりするとまずい、というので、初めて左右を入れ替えることにした。
 妻は、大の猫好きである。私は大塚さんちのシバの影響で柴犬一本鎗だ。妻も柴犬は猫についで好きだと言い、コタロウというぬいぐるみを抱き枕にしている。ベッドに入ると「コタ~。おばちゃんズタボロだよー」と言っていた。

小谷野敦