凍雲篩雪

凍雲篩雪(77)ムーミンの謎

一、室生犀星の『青い猿』という中編小説がある。昭和六年に「都新聞」に連載され、単行本になったが、戦後の犀星全集には入っていない。国会図書館デジタルで読める。芥川龍之介を描いたもののようだが、読んでいくと芥川が二人いるようなのだ。はじめに登場する松平隼太という詩人は、ハル子という妻がありながら、篠崎礼子という人妻の愛人がいて、これに悩まされている。これは秀しげ子だろう。ところがあとになると、秋川龍之という作家も出て来て、これが最後に自殺する。するとこちらも芥川なのだ。二瓶浩明の「『青い猿』論 室生犀星芥川龍之介」(『室生犀星研究』二〇〇六)という論文があり、これ以外にこの作品を扱った論文は見つからないのだが、二瓶は、松平は犀星自身であり、「室生犀星は秀しげ子を、秋川=芥川ではなく、松平=犀星と関係のあった女として、デタラメの物語を作り上げようとしている。おそらくは親友芥川龍之介を醜聞から守ろうとして」と言うのだが、松平が犀星だとする根拠が分からない。松平のもとには「旗」という文学青年が訪れてくるが、これは堀辰雄だし、どこから見ても芥川なのである。もう一人、芥川の思い人である片山広子松村みね子)は、秋村みね子として登場するし、あと織本貞一という詩人も登場し、これは萩原朔太郎だとされている。もっとも、ダンスをし、妻を離婚しようと考えているから、谷崎潤一郎のように思えるのだが、上州出身で、美しい妹たちがいるというから朔太郎だろう。明らかに失敗作で、何とも厄介な作品である。
二、センター試験に「ムーミン」が出題されて、ムーミン谷はフィンランドにあるか、空想の世界だから実在しないとか議論になっていたが、どうもこの「ムーミン」というのは変である。一般にはトーヴェ・ヤンソンが作ったキャラクターだが、全十冊の小説があり、トーヴェの弟ラルスが描いた漫画もあり、日本で作られたアニメもあって、それぞれ肌合いが違う。小説は最初の『たのしいムーミン一家』は児童文学なのに、あとの『ムーミン谷の仲間たち』や『ムーミン谷の冬』『ムーミンパパの思い出』となると純文学風になって、私など子供の頃、題名から『ムーミン谷の仲間たち』の箱入り本を買ってきて、読んでたまげたことがある。マンガもその当時一部訳されており、これは英訳からの重訳だったようだが、皮肉な風刺漫画だから子供には意味が分からなかった。のち冨原真弓が全巻を訳したのも全部読んだが、そう面白くはなかった。それに対して二回にわたって作られたアニメは児童向けの教育的ファンタジーで、ヤンソンは認めていないとも言うし、私も当時観ていて、最後に高木均が声をあてるムーミンパパの説教で終わることが多いので何だか嫌いだった。
 マンガ版ムーミンは、放送が始まる前に小学校三年生くらいだった私が『あぶない!ムーミン』というのを買ってもらって読んだが、大人向けのナンセンスや楽屋落ちギャグが多く、理解に苦しんで、五年生くらいの時にわけが分からないところに鉛筆で突っ込みを書き入れたくらいだが、あとで高校生くらいになって見直して、それらがみなギャグであったことが分かったというしろものだった。ムーミン一家が悪者にしばられていても、ママが「きっと何かが起こって私たちを助けてくれるわいつものように」と物語のお約束に触れたり、スナフキンが訪ねてきたのを、強盗だと思い、ムーミンが、声はスナフキンだよ、と言うと、強盗がスナフキンに言わせているんだ、なんて悪いやつだと猟銃を向けてドアを開けさせるとか、子供には理解しづらいものがあった。
 しかしムーミンを知っていると役に立つこともあって、「ムーミンパパは孤児院で育ったんだよ」などと女子に話すとわりあい受けたりする。そのために、ムーミンというのは知識をひけらかすためのコンテンツになる部面もあり、スナフキンは英訳で本当はスヌヌフムムリクだとか、ニョロニョロはハッティフナットだとか、マンガは読んだかとかいろいろ言えるのである。つまり「酢豆腐」的な世界になる局面もあって、キャラクター産業としては大成功したものなのだが、そのためにフィンランドか架空の国かなどという議論が起きたのは、これは必然だったと言えるだろう。
三、文學界新人賞が受賞作なしで、選考委員たちが厳しい選評を書いたことが話題になっている。もっとも私ら一般人は最終候補作を読むことはできない。だから私などは、最終候補決定までの間に、けっこういい作品が落とされてきたのではないかと思う。中で選考委員の円城塔が、最終候補作が「文藝雑誌向け」にチューニングされていることを批判して、そういう文藝雑誌向けの小説は今では文藝雑誌には載っていない、と書いている。これに納得している人もいるようだが、文章は達者だが筋がない、退屈だ、という意味であれば、芥川賞をとった「影裏」などは円城が褒めたものだし、「生きていない者」もある。いったい円城にとっての「文藝雑誌向け」だが実際には文藝誌には載っていない小説というのはどういうものなのか、気になった。円城は「影裏」の受賞の時も、小説でここまでプライバシーが守れるのか、などとすぐに意味のとれない選評を書いていた。
四、西部邁が他人の手を借りて自殺したことが分かり、手助けしたテレビ番組関係者二人が自殺幇助で逮捕された。ところで西部の、自殺が最上の死に方だという意見は昔からのことだが、一度、座談会でそれについて西尾幹二から、自分の死に方まで決めようというのは傲慢だ、と言われたことがある。私は別に傲慢だとは思わないが、果して傲慢というのは内面に存在するものか、という妙なことが気になっている。態度が傲慢だとか尊大だとかいうことはむろんあるが、そういう人の内面もまた傲慢だとは限らないだろう。傲慢で尊大な態度をとらなければ守れない弱い自我を抱えている人もいるだろうし、単に地位や勢力を頼りにして思いあがっていることもある。私には、内面がそのまま傲慢である、というようなことはないような気がするし、西部の考え方も、「傲慢」とは思わない。実際世の中には、豊臣秀吉竹下登のように、腰を低くして覇権を握る人もいるし、尊大な態度をとるから悪いやつ、ということもない。
五、吉村昭の実録小説を読んでいる。『羆嵐』『破獄』『漂流』『破船』『桜田門外ノ変』『アメリカ彦蔵』と読んで、いずれももちろん面白かった。『破船』は、実際にありえただろう村を想像で描いたものだろう。『羆嵐』と『破獄』は、中心となる人物を変名にして描いている。小説であり、セリフなどは想像で書いたからということだろうが、歴史小説となると実名で書かれる。『アメリカ彦蔵』がそうで、これはジョゼフ・ヒコを、徳川家康織田信長のような歴史上の人物と見て書いたからだろう。『アメリカ彦蔵』は、『アメリカ彦蔵自伝』という根本史料があるが、ほかの漂流民たちについていろいろ調べたことがあとがきで分かる。しかし、調査経緯が書いていないので、研究者はこのままでは利用できない。ちゃんと調べる歴史小説にはままあることで、私などもその類の歴史小説を書いた時は一応考証過程も書いてあるが、書いてないと歴史家が困るのではないか。まあそれは本人や協力者が考証随筆を書いておいてくれればいいことではあるが。