凍雲篩雪

豊臣秀次和泉式部 

 呉座勇一の『応仁の乱』(中公新書)が、堅実な歴史書にしては異例のベストセラーになっているという。かつて中公新書では、神坂次郎の『元禄御畳奉行の日記』(一九八四)が売れたし、磯田道史武士の家計簿』(新潮新書、二〇〇三)も売れたが、これらが、武士の記録を現代のサラリーマンに重ね合わせるものだったのに対して、『応仁の乱』は異色だ。最近、歴史にひそかな人気があり、吉川弘文館山川出版社で出すような歴史書も文学研究書よりは売れているようだ。
 日本史研究では、古代史に関する推理もの的なものが人気があったのだが、これらはそれとも違う。知識的読者の間には、「史料」への関心が高まっている。かつて歴史は、『太閤記』などの歴史記録を基礎にしていたが、今では、古文書、古記録(貴族の日記など)を一次史料として重んじる。一般読者はそういう一次史料の解読やアクセスがままならないため、歴史学者に対してある種のあこがれを抱いている、と私は見る。呉座の場合も、興福寺の僧の日記を用いたというところが、こういう層の関心を引き起こしたのだろう。
 呉座は、東大卒だが高校は海城高校で私の後輩にあたる。この高校は江藤淳の親戚が経営していたもと海軍学校だから、政治的保守派である。呉座は従来の歴史学階級闘争史観を随所で批判しており、すくすくと海城的に育った学徒だなと思う。神坂も磯田も、やはり政治的には保守派である。
 別にそれでおかしな意味づけをするわけではないからそれはいいのだが、最近の歴史書には気になることもあり、「同時代史料」を重んじすぎるということがある。その当時においては書けなかったことが、後世になって書けるようになるということもあるし、史料がすべて残存しているわけではなく、後代史料に真実が書かれていることもあろう。森公章の『天智天皇』(吉川弘文館人物叢書、二〇一六)を見たら、天智の暗殺説には触れていなかった。これは井沢元彦が唱えたもので、初出は小説の『隠された帝――天智天皇暗殺事件』だが、その後『逆説の日本史』でも書かれている。恐らくこの手の説は歴史学者から黙殺される運命にあるのだろうが、私は荒唐無稽の説とは思わなかった。それに対して歴史学者が異論があるなら、堂々と論駁すればいいのだが、黙殺するのは困る。
 あとは豊臣秀次である。近ごろ、秀次の切腹は秀吉の命令ではなかったという説が出て、大河ドラマ真田丸』でも採用されていたが、私は疑わしいと思う。ただし藤田恒春の『豊臣秀次』(吉川弘文館人物叢書、二〇一五)を見たら、秀次の「殺生関白」とされる行状について否定的な見解が示されていた。これが書いてあるのは太田牛一の『太閤さまくんきのうち』や、小瀬甫庵の『太閤記』で、秀吉側のものであり、秀次は古典文藝に理解の深い文化人だったとされている。だが、秀次の残虐な性向については、ルイス・フロイスの手紙に書いてあるのに、藤田はさらりとこれを無視する。驚いて小和田哲男の『豊臣秀次 「殺生関白」の悲劇』(PHP新書、二〇〇二)を見たら、こちらはフロイスの手紙から秀次に好意的な部分だけ抜き出し、対してアビラ・ヒロンは厳しい見方をしている、などとあって、ほとんどわけが分からなかった。そういえば大河ドラマでも、最近は秀次の「殺生関白」ぶりは描かれなくなっているが、監修が小和田だからだろうか。納得のいかない話である。日本史学界に、秀次再評価の動かしがたい趨勢でもあるのだろうか。こんな風に議論が尽くされていない論もある。
二、二月十一日に、日本近代文学館で、自作「童貞放浪記」の朗読をしてきた。歌人の佐伯裕子氏と一緒で、司会をして呼んでくれたのは詩人の小池昌代さんであった。小池さんの詩集や小説は以前にも読んでいて、わりと厳しい評価を下したりもしていたのだが、ありがたいことである。またその司会ぶりもまるでテレビ番組の司会者なみの鮮やかさであった。「童貞放浪記」には、性的な描写があるのだが、聴衆の顔つきが概して厳粛だったから、そういうところは飛ばして読んだ。そのあと、三人での公開鼎談になったのだが、実は佐伯裕子氏はA級戦犯として処刑された土肥原賢二の孫なので、天皇がどうとかいう話になったらどうしようと恐れていたのだが、むしろ小池さんからその話を持ち出して、少しひやひやした。佐伯さんはどういうわけか私が何か言うと「知で処理しているんですね」とくりかえし言ったのであるが、あとでよく考えたら、天皇の存在は知で処理するものではない、と言いたかったのが、そういう形で出たのかもしれないと思った。
 ところで、そこで和泉式部の話が出たのだが、私はずっと黙っていた。数年前に、沓掛良彦先生から『和泉式部幻想』という本が送られてきて、これはかつて川村二郎が出した本の題名と同じである。和泉式部というのは、昭和になってから人気の高くなった歌人だが、おおむね与謝野晶子が称揚したことによるだろう。さらに戦後は、鷲尾雨工の『恋の和泉式部』(一九四八)をはじめとして小説も書かれ、『和泉式部日記』は漫画にもなっている。戦後日本の、恋愛至上主義と女性解放思想にマッチしたからだろう。
 私は川瀬一馬の、『和泉式部日記』は藤原俊成の創作だという説に、心情的に賛同している。岡田貴憲の『和泉式部日記』を越えて』(勉誠出版、二〇一五)は、これが日記というより物語だという方向で書かれている(ただし特段の新説ではなく、『蜻蛉日記』も物語ととらえる研究者がいる)。
 和泉式部の「奔放な性愛を生きた」物語というのが、私には妙に通俗的に思える。というのは、二十世紀後半以降の人々がいかにも喜びそうだと思えて、好きになれないのである。これに限らず、王朝和歌には「夢かうつつか寝てか覚めてか」(伊勢物語)とか、「わが身世にふるながめせし間に」(小野小町)とか、日本語の特性として、千年前の言葉とは思えない、今でもそのまま理解できるため、人気も高いのだが、どうも私には食い足りない。
 その鼎談でも、近代短歌では斎藤茂吉が群を抜いている、と言ったのだが、これはマッチョ趣味で万葉趣味である。私も『万葉集』なら、素直に優れた文藝だと思えるのだが、平安朝和歌はどうもいけない。梅原猛大岡信が『古今』『新古今』を再評価しようとしたのだが、私にはやはり『万葉集』のほうが優れて見える。
三、ゴンチャロフの『平凡物語』(岩波文庫)を読んだら面白かった。『オブローモフ』もそうだが、ロシヤ文学ではゴンチャロフが一番私には面白い。二葉亭の『浮雲』は日本最初の近代小説だが、お勢が文三と喧嘩するあたりは、まるっきり『平凡物語』そのままである。ゴンチャロフの描く青年は、近代青年の一典型をみごとに表していて、ほかの作家たちのように十九世紀ロシヤやキリスト教の刻印を帯びていない。だが解説が述べるように、夢見る青年アレクサンドルが、堕落して凡庸な大人になったとは私は考えない。むしろ成長したと思えるのだが、どうなのだろうか。