田中英光「姫むかしよもぎ」

 田中英光に「姫むかしよもぎ」という中編がある。国会図書館にも近代文学館にもあるが、芳賀書店の全集には入っていない。西村賢太の『田中英光私研究 第五輯』に載っている。
 これは1947年に赤坂書店から出ているが、この「私研究」には、西村が赤坂書店の編集者だった吉田時善に話を聞いた時のことが書いてある。吉田時善は英光と親しく、この原稿が書かれて真っ先に読んだとされている。吉田は、『地の塩の人 江口榛一抄』と『こおろぎの神話 和田芳恵私抄』の二冊の著があり、私は二冊とも読んだ。

(吉田が、「姫むかしよもぎ」の原稿は行方が知れないと語る)
その頃の時代では使い終った原稿類は風呂の炊きつけか何かにされたことは充分あり得るなア、とボンヤリ考える。しかし、その原稿の行方については質問していなかった(吉田宛の手紙で)ので、さすがに本職のジャーナリストともなると手廻しよく十歩先のことまで答えて下さるなア、と感心していると、次の瞬間、氏の意外な言葉が聞え、一時頭が混乱した。
 「(略)・・・あなた(西村)の手紙の中で『姫むかしよもぎ』は出版されているように書いてありましたけれど、あなた、出版されたと思い込んでおられたのですね」
 しばし沈黙のあと、おずおずと、
 「いえ、あの、……あれは、出ております」
 「……赤坂書店で?」
 「はい」
 「ええっ」
 今度は氏の方が一時混乱されたようであるが、ここに来て呑み込みの悪い私にもようやく事の次第が把握出来てきた。

 つまり吉田が退社したあとで刊行されたということなのだが、国会や近代にあるのにそれは調べなかったのかなあ。こういうのを改めて小説にすればいいのに。