川本三郎の『林芙美子の昭和』(新書館)に、「山本健吉は『昭和の女流文学』(実業之日本社、昭和三十四年)のなかで、ヴァージニア・ウルフの「女が小説を書くためには、女が『自分だけの部屋』を持つようにならなければならない」という言葉を紹介している」とあるが、そんなものウルフから直接引けばいいのになんで山本健吉を経由したんだろう。