凍雲篩雪

凍雲篩雪(57)アダルトビデオの光と影

 私が大学生から大学院生だった頃が、アダルトビデオが最初の黄金期を迎えた時期だった。院生になって自室にテレビを備えた私は、ずいぶんお世話になった。その当時は、レンタルビデオ店で二点を借りてきて、色々なAVを試してみたものだが、大阪へ移ってからは、買うようになった。中に、スカトロ趣味のものがあって、観たあとで気持ちが悪くなったりした。それ以後はDVDに変わり、相変わらず観続けているが、もともと、強姦ものというのはあまり好きではなく、そのうち、年齢のせいか、受け付けなくなった。しまいには、女優が不機嫌な顔つきをしているとか、このビデオに出ているのは不本意なのではないかと思うと、楽しめなくなった。
 十年ほど前から、アダルトビデオに「中出し」と謳ったものが現れた。実際にセックスをするわけだから、普通はコンドームをつけてするのだが、これはつけず、中に精液を出すのである。私は当初、そのようなものの何が面白いのか理解できなかったが、どうやらこれは、中へ出すことで女優が妊娠を恐れる(演技)を面白がるものらしいと気づいて、そういうものを面白がる男というものに恐怖を抱いた。といっても、実際には特に嫌がっていないものもあり、どうも意味不明だと思っていたら、あるビデオで、女優の陰部に漏斗を入れ、男たちが次々と射精し、女優が本気で嫌がっているように見えたものがあり、ぞっとして観るのをやめてそのDVDは売ってしまった。
 AV女優の労働者としての状況が明らかにされつつあるが、騙された、というのでないにしても、その後どうなるかといったことは考えずに出演している女優は少なくない。顔を世間にさらしているという点で、売春とも違うものがある。中にはブログやツイッターをやっている女優もいるが、以前、私の気に入りの一人が、もし引退したら私のことは忘れて下さい、と書いているのを見て、困ってしまった。そういうわけにはいかないのである。アダルトビデオを撲滅する、といった極端なことは考えるべきではない。何とかより女優らの状況を改善するように動いてほしいと思っている。
 二、私が高校生の頃、「エリート高校生」による事件が相次いだ。はじめは開成高校生の家庭内暴力に苦しんだ父親が息子を絞殺する事件があり、新藤兼人がこれを「絞殺」という映画にした。私は当時『シナリオ』という雑誌でシナリオを読んで、新藤の、エリート高校生のとらえ方が変だと思った。次に起きたのが、大学教授の祖父と父をもつ高校一年生が、祖母を殺して自殺した事件である。この高校生・朝倉泉は、私と同学年なのだが、当時は、大学教授一家の事件として関心を持たなかった。むしろその二年後に起きた、一柳展也という、高校の先輩にあたる男が起こした金属バットでの両親殺害事件のほうが、もちろん関心事だったし、さらに二年後に起きた、東大名誉教授で英文学者の斎藤勇(たけし)が孫に殺された事件も、すでに大学生になっていた私には関心があった。
 この朝倉泉に関しては、母親が朝倉和泉の名で『還らぬ息子 泉へ』を刊行しているのだが、これを読んでみた。泉の祖父はフランス語学者の朝倉季雄で、父はお茶の水女子大学教授だった中川信だということだが、母は季雄の娘で千筆というのが本名で、中川は師匠筋の千筆との結婚を示唆され、千筆が渋ったのだが、中川が自殺未遂をしたため結婚し、泉と妹が生まれ、しかし夫婦仲がうまく行かず、事件の前に離婚して、千筆は子供らを連れて両親と同居しており、そこで事件が起きたという。なお中川信は、一九九一年に六十一歳で急逝しており、病死とされている。喪主は兄なので、再婚はしなかったようだ。津田塾大学英文科を出た朝倉千筆は、その頃、五十五歳で米国に遊学していた。その時の様子は、『マイ・チャレンジ 女ひとり、アメリカへの旅立ち』(中央公論社、一九九四)に書かれているが、十一年前の悲劇の蔭をまったく感じさせず、五十五歳になっていきなり米国へ渡り、日本語を教えるというそのエネルギッシュさと明るさには驚かされる。そしてまた、中川信は、この性格にひかれ、かつ自身はさほどに優秀でも明朗でもなかったのだろうと思う。
 この事件は、本多勝一編著の『子どもたちの復讐』下巻(朝日新聞社、一九七九)で扱われているのだが、この朝倉泉が筒井康隆が好きだったというのが話題になっており、本多の対談相手の安田道夫という検事が、「自分は読んだことがないが、読んだ人によると、何の罪もない人を理由もなく非常に残忍な方法で殺すというような、人間の生命の尊厳についての観念のない、かなり残虐性の強い推理小説だそうですね。こういう不良文化財が…」と言っている。
 この時期のこうした事件が、受験戦争が原因だとされたため、その後「ゆとり教育」が始まったのだが、なぜこの時期に集中して起きたのかは分からない。戦前生まれの両親の考え方と、この時代との間に何かきしみがあったとも考えられる。だが、ゆとり教育を公立校でしても、優秀な生徒は私立へ行くだけだし、受験地獄などというのは、久米正雄が『学生時代』に収められた「受験生の手記」に書いた通り、明治末から大正はじめにすでにあったものだ。そしてまた学業だけでなく、野球でも音楽でも芸能でも、競争のあるところでは一定程度の人の心は歪むのである。
 大量殺人事件などが起こると、マスコミおよびマスコミ人士が、慌ててこれに意味づけをするのは恐ろしいほどである。そして一般人も今ではその驥尾に付して意味づけを行い、時にネット上で論争すら行う。事件というのは背後にいろいろ事情があって、取材で明らかになるまで黙っていればいいのに、それができない。週刊誌というのは、面白おかしく意味づけをするものだが、この点では、国民が週刊誌化している。
 何よりいけないのは、殺人などというのは、おおむね先天的な素質があってするものだという常識がないことである。世間には、殺人を扱った小説などというのがあって、時にそれは純文学だったりするが、殺人という行為には普遍性はないのである。「自分もまたいつ人を殺すか分からない」と本気で言う人がいたら、その人にはそういう素質があるのである。
 三、文藝評論家の田中弥生さんが四十四歳で死去した。かねて病気とは聞いていたが、まことに早すぎる。田中さんは、残念ながら面識を得ずにしまったが、私が文壇で最初に出したといえる小説「悲望」について、目からウロコが落ちるような解説を、幻冬舎文庫版に書いてくれた。私は以前、作者が分からない無意識を評論家が指摘するなどということがあるものか、作者はまあ大体分かっているに決まっていると考えていたのだが、田中さんはあっさりとその思いこみを覆してしまったのである。惜しい人を亡くした。