丸山健二よ

 大学院生の頃だったか、実家の近くの古書店へ行ったら、文学青年崩れみたいな男が店主と話していて、男は、丸山健二って知ってますか、長野にいて・・・などと言い、尊敬しているみたいなことを言っていた。
 丸山自身、芥川賞受賞の時の騒ぎにうんざりして、以後賞の類は断っていると書いていた。ところでここに、https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E5%81%A5%E4%BA%8C/e/B004KYSHR0/ref=dp_byline_cont_book_1
「1973年「雨のドラゴン」第 9 回谷崎潤一郎賞候補作になるが辞退
1976年「火山の歌」第 12 回谷崎潤一郎賞候補作になるが辞退
1987年「月に泣く」第 14 回川端康成文学賞候補作となるが辞退」
 とあり、ウィキペディアでは「受賞を辞退」と誤記されている。
 だが、候補を辞退したなら、候補作として発表されることはないはずである。現に大西巨人は『神聖喜劇』で谷崎賞の候補になったが辞退したので、表面に出ていない。
 また「1968 年 長野県へ移住」「長野県に移住後、文壇とは一線を画した独自の創作活動を続ける。」とあるが、丸山は71年に江藤淳の『漱石とその時代』が出た時の「江藤淳氏を励ます会」に参加しているし、文學界新人賞の選考委員もやっている。まあ、77年以降は文壇から遠ざかったと言えようが、候補を辞退したというのは本当なのか、疑問である。