尾崎一雄の『あの日この日』という自伝がある。その講談社文庫版は全四冊だが、その第一巻の最後のほうに、昭和五年八月、尾崎が住む下曽我に、曽我十郎・五郎の記念碑が建って、松本幸四郎らの歌舞伎俳優や森律子らの女優が来たということが書いてある。
 尾崎はその時不在だったのだが、町は大騒ぎで、人々は、尾崎と同級生だった悪童の長谷川儀四郎というのが、幸四郎より美男だと言ったという。尾崎は「さういはれてみると、儀四郎の顔は、苦味ばしつた方で、先代幸四郎型だつた」と書いているのだが、この時来たのは七代目幸四郎だから、先代幸四郎といったら幕末の六代目で、尾崎は誰かと間違えているのではないか。