夏目漱石が「I love you」を「月がきれいですね」と訳せと言ったというのは都市伝説らしいが、これは長山靖生の『「吾輩は猫である」の謎』(文春新書、1998)に、
漱石は、ある時、英語の授業でI love youを「我、汝を愛す」と訳した生徒に「馬鹿、そんな日本語があるものか。これは“月が青いですね”とでも訳しておけ」と言ったという」
 とある。
 だがこれは、参考文献に、森田草平、松岡譲のものがあるので、そこに出ているのかもしれない、と思って探したがなかった。
 飯間浩明氏が古い例としてあげているのは、つかこうへいと豊田有恒のもの。
https://twitter.com/iima_hiroaki/status/666799218237923328
 つかのほうは、小田島雄志珈琲店シェイクスピア』(1978)での対談で、生徒が「愛してます」と訳したら、漱石がばかやろうと怒鳴りつけて、「月がとっても青いから」とするのだと言った、という。
 豊田のほうは『あなたもSF作家になれる、かもしれない』(1979)で、こちらはずいぶん脚色されて、生徒たちは「我、汝を愛す」「僕は、あなたを、愛(いと)しう思す」などとやったら、漱石が「おまえら、それでも、日本人か?」と一蹴して「日本人は、そんな、いけ図々しいことは言わない。これはー月がとっても青いなあ、と訳すものだ」と言ったとする。
 あと吉原幸子『言語生活』1987年4月の「恋をかたることば」特集の「うまい恋文、いい恋文」で、「最近もどこかで見かけたエピソードに」として、生徒が「我、汝を愛す」と訳したら、漱石が、それは「月がきれいですねえ」と訳すのだと言った、とある。「どこかで見かけた」が困る。だが、「青い」がここでは「きれい」になっている。このあと吉原はエッセイ集などを出していないので、どこかに収録されたかどうかは分からない。だがここで「青い」が「きれい」に変わっている。
 漱石ではないかもしれない、と思って探したら、堀口九萬一の『遊心録』に、アイラブユウに該当する語が東洋にはないという一節を見つけた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117899
 「青い」はやはり1955年の菅原都都子「月がとっても青いから」以後に考え出されて付会されたものであろう。