森銑三の欠点

 柳田守の『森銑三』(シリーズ民間日本学者、リブロポート、1994)を読んだ。著者・柳田守は、1963年生まれ、塾講師とだけあり、ほかに著作も論文も見つからない。当時の担当編集者にも尋ねたがいまどうしているかは分からないとのことである。
 同書には「蔵田はじぶんちの隣の空地に」という表現があってちょっと驚いた。「じぶんち」。
 森は学歴のない歴史・国文学者だったが、芳賀徹小堀桂一郎といった非国文・国史の東大教授からは評価されていた。
 森は西鶴に関する説で知られるが、『好色一代男』以外は門人の代作だと言う。ところがその論拠が、『一代男』だけは文章がすばらしく、それ以外はそうではないから、と言う。『一代男』とほかの浮世草子の間には十年くらいあり、森はむしろそれを長めにとっていた。だから、『一代男』が難解で売れなかったからとか、西鶴も練れてきたとかで文章が変わってもおかしくあるまい。
 だがそういう点について国文学者が批判しても、森がちゃんと答えたかどうか、私は知らない。あるいは国文学者が無視したのかもしれない。柳田著は、戦後の森については触れていない。
 しかし柳田は、森のそういう欠点にも触れている。「草子」という語について、「帝大の新助教授」が「定義は曖昧だ」と書いたのをバカにしたようなことを書いており、この新助教授というのは池田亀鑑なのだが(柳田はなぜかそれについて書いていない)、別に間違ってはいない。
 あるいは六朝の詩について書かれた文章について、森は「絶句」や「律詩」を知らないのかと書いているが、絶句や律詩は唐代に確立したものなので、これも間違っていない。
 また森は、道徳的な標準を立てており、漱石はいいが谷崎はダメだと考えていたようだが、だとすると西鶴はどうなるのか、それが分からない。