女子京大生殺害事件

 阿部知二の「おぼろ夜」という小説を読んだ。これは「おぼろ夜の話」『新潮』1949年3月の改題で、1948年4月、京大史学科の学生・井元勇が、同美学科の谷口八重子を殺した事件をもとにしている。当時阿部は同志社大学客員教授をしていて、友人で京大教授の西洋史学者・井上智勇と、二人の友人だった猪俣勉から話を聞き、新聞、週刊誌などの記事から作ったらしい。
 このあと三島由紀夫も同じ事件を「親切な機械」(『風雪』49年11月)に書いているが、これは木山勉というプレイボーイらしい男の語りになっていて、殺された女・鐡子は木山の恋人だった。犯人は猪口となっており、木山は猪口が鐡子に迫っているのを知って、自分は秀子という新しい恋人に乗り換えようとしているため、猪口を鐡子とくっつけようとしている。
 この事件と小説は、井元ー井上ー猪俣という実際の人物の姓が紛らわしく、小説でも三島のほうが木山勉、猪口としていて混乱しやすい。
 阿部のほうは「木山」が出てこないだけすっきりしていて、石狩とされている犯人は哲学青年で、これは実際に公表されたのだがキチ××寸前みたいな哲学ノートを書いており、そこから、八重子に迫る必然性を見出している。だが、それまでに犯人と被害者にどの程度の交渉があったかは分からず、かつまた被害者が必要以上に犯人に同情的で、この同情が犯人を駆り立てたのである、ということが分かる。
 これについて私が見た論文は、http://ci.nii.ac.jp/naid/110009633614で見られる同志社出身の田中裕也のものがあり、これはたいへん優秀な論文である。あと高場秀樹「三島由紀夫『親切な機械』論 素材からのアプローチ」『京都語文』(佛教大学)2002-10を見た。この高場という人は三島に関する論文が三本あるが、佛教大学の院生であろうか。
 ところでこの「木山勉」のモデルである山口健二は、以下のような人物である。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%81%A5%E4%BA%8C&oldid=36201071
 高場はこのことには一切触れていない。ただ、阿部の小説に山口が登場しないと思った三島が、創作ノートに「阿部かきおとし」としたあと、石狩の友人の「哲学科の加古」とあるのを見出して「阿部かきおとし」を抹消した、とある。
 そして山口健二が没後、性同一性障害であったことが明らかにされた、となると、「親切な機械」は俄然違った相貌を帯びてくるのだが、ここで古い版を使ったのは、「恋人の井上美奈子」というのも、公判に出ているからである。井元や井上美奈子のその後は、どちらの論文も触れてはいない。これらはみな三島と同年輩なので、もう存命ではない可能性が高い。
 なお谷口八重子は京都市室町の漆器業谷口音八の娘である。この名は山中鹿之介が初陣で戦った菊池音八を想起させるが「おとはち」だろう。ただし菊池音八のほうは「おんぱち」と言われることもある。