ある誤植

 本谷の芥川賞異類婚姻譚』のアマゾンレビューで、私と「おだいそぐ」という人が低い評価をしたあとで、いくらか高い評価をした「匿名希望」がいて、そこに「を奇禍として」とあった。「おだいそぐ」はコメントをつけて「誤字ですよ」とした。すると「匿名希望」は、織田作之助の『それでも私は行く』に「(弓子が陶摸であることを)たまたま隣の部屋で聞いた望月はこれを奇禍として脅迫的に弓子を誘惑しようとした」とあったから・・・と言い、話は「奇禍として」でもいいのか、という方向へ行った。
 『織田作之助全集6』(講談社、1970)を見たら、確かに「奇禍」とあった。そのあとに出た『定本織田作之助全集』(文和泉堂書店、1976)を底本とした青空文庫を見たらやはり「奇禍」である。これは「小田索之助」という三高出身の作家が出てきて、桑原武夫とか伊吹武彦とか吉村正一郎がすぐ分かる変名で出てくる長編で、戦後『京都日日新聞』に連載され、1947年に大阪新聞社から単行本が出ている。で、その単行本を見たら、じゃーん。「奇貨として」とある。つまり講談社版全集が誤植したのを、文泉堂がそのまま、テキスト・クリティークをしないで踏襲したのがばれてしまったわけ。
小谷野敦