「次回芥川賞についてという話題は、文学青年の胸をわくわくさせるだらうが、このごろ芥川賞の値段が少し下つて来たやうぢやがどんなものかな」
 と書き起こされるのは、田健「次回芥川賞について」『東宝』1940年5月号である。
 「第十回寒川光太郎の受賞なんかも、文壇うけが凄く悪いからぢや。荒れたね芥川賞もといふ評判が多い。しかれどもぢや、芥川本部にしてみれば、寒川の「密猟者」の様な作品を撰びだすが安打性が多いと考へるだらう。」
 「余談はさて置き、次回はどんなのが有望だらうか、そんな事を編輯部は訊いてゐるんだらうが、いつも芥川賞の予想は大抵はづれると相場が決まつとる。あたるも八卦あたらぬも八卦と洒落たんではないが、芥川賞本部はいつも奇襲の手を心得てゐて、あまり早くから予想などされたのは、見向かれないといふ傾向があるからぢや。この予想下馬評といふやつも、文壇の口うるさいのが云ひたてるのもあれば、当人がなんとか賞をえたいと評判の種をふりまいて歩くのもあるらしい」
 「第十回は受賞の寒川光太郎より、第二席の半島作家金史良の方が好評だつた。まづ落ちた方が同情されるのが当前だが、これまでの例でも、受賞作家より候補の方が評判がよくその評判でどしどしのして、文壇的に流行してゆくのも少なくない」

 田健というのは変名だろう。この文章の次には「有望な新進映画女優」という伊藤彰夫の文章があって、「原節子を、いまさら新進女優の中に入れることはないかも知れないが」などと書いてある。