週刊新潮』に、瀧井朝世による、金沢百枝さんの『ロマネスク美術革命』(新潮選書)の書評が出ていた。瀧井は同書から、私たちの目は「名画スタンダード」に曇らされていないかというところを引いて、この本に出ている中世の絵を「ヘタウマ」などと思った自分も、「ルネッサンス以降」の美術観で曇っているのではないかと反省している。
 実は私も、だまされたと思ったことがあって、というのは「ルネッサンス」ではなく「印象派」以後の「印象派帝国主義」によってである。いわゆる美術史は、ドラクロワ、アングルから、バルビゾン派をへて印象派へ行くが、その間の、アカデミー派などと言われる、コラン、ブグロー、グルーズといった美しい女を描く画家は、通俗とされ、ピンナップなどと言われて教えられずに来たのである。いずれも、いわゆる美術全集の類には入っていない。あとアングルの弟子でモローの師匠のシャッセリオとか。今世紀になってから、三浦篤などによってコランが紹介され、「ヴィクトリア朝の裸体画」展なども開かれた。だが今でもこうした画家の画集は日本では出ていないから、私は洋書で取り寄せた。グルーズなんて、漱石の『三四郎』の美禰子は、グルーズの絵の女に似てはいないがグルーズの女のようだ、と書かれている(つまり美しいということだろう)のに画集がないんだからひどいものだ。
 でまあ、金沢さんが紹介する中世絵画は、金沢さんが紹介するから「へたなところがかわいい」と思えるのである。