歌舞伎役者の憎々しさ

 豊田豊という美術評論家・劇作家がいる。1900年京都生まれで、1933年11月東京劇場の「国芳出世」という芝居を書いている。著作は多いのだが、履歴などはまだ不明、没年も不詳だが、戦後まで生きていたかどうか疑わしい。 
 その豊田の『演劇酔談』(1936)は、その頃書かれた演劇や美術に関する随筆集だが、これが面白い。川端康成も出てくる。さてそこに、若い歌舞伎俳優に憎々しさが欠けている、と書いているところがある。具体的には片岡我當(のち13代仁左衛門)、坂東しうか(14代守田勘彌)、市川段四郎(先代)、染五郎(八代幸四郎)で、古い俳優で憎々しさを感じるのは、鴈治郎(初代)、二代実川延若、我童、仁左衛門、六代菊五郎幸四郎(七代)、中車だという。
 これを読んで、今もそういうことがあるなあ、と思った。死んだ中村勘三郎は、最後まで徹底した憎々しさはなかった。先代勘三郎が仁木弾正をやる時などは、それがあった。また先の鴈治郎襲名披露では、鴈治郎に対して仁左衛門の憎々しさが圧倒してしまっていた。
 だいたい憎々しさというのは年齢を増すと出てくるものだが、今の仁左衛門などは孝夫時代からそれがあった。今の吉右衛門も役によっては憎々しい。死んだ実川延若とか河原崎権十郎などは、顔からして憎々しかった。三代目猿之助と今の猿之助を比べると、まあこれは未だしというところはあるが、これはいいほうだ。死んだ團十郎や今の菊五郎には、そういう憎々しさはない。
 まあ「悪に強きは善にもと」いうので、歌舞伎役者は憎々しさが出てこそ大物ということになろう。