文庫解説の気味悪さ

 文庫版というのは、基本的に解説がついている。昔は文庫といえば古典的名作が入ったのでいいのだが、今では様変わりした。文庫オリジナル小説にはもちろん解説はないのが普通。
 さてそこで気持ち悪いのが純文学の文庫解説である。だいたい解説は、元本が出た時に褒めた人に頼む。著者本人の意向を訊いて頼むこともある。だがまれに、何も言ってないのに頼まれることもあって、文筆家だと原稿料ほしさに引き受けてしまい、それで初めて読んで感心しないと困ることになる。嘘をついて褒めるか、褒めず貶さずの藝当に走るか。
 中には気味の悪い解説もないではない。たとえば、前半は本とは関係のないエッセイになっていて、後半で、さて××××は、とくるやつ。これはどうもキザである。中には、どう考えたって駄作である小説を、平然と褒めているのもある。まあ典型的なのが糸井重里の『家族解散』の高橋源一郎の解説で、面白くなかったらどうしよう、と思ったら面白かった、とくるのだが、実は面白くないのである。高橋はこの解説を書いたことがトラウマになったのか、20年ほどたってまたこれを論じている。