何の『礼讃』なのか

(14日記)木嶋佳苗の自伝的小説『礼讃』をやっと読了した。以前、獄中で木嶋が書いたという性描写の断片を見て、なかなかの才能だと女性誌でコメントしたのは私だが、実際文章はうまい。猫猫塾で小説指導をしていても、これだけまとまったものを書ける人はなかなかいない。
 その一方で、いったん転落し始めてからはなかなか無残だが、面白いのは、小学生で漱石を読んでいたという木嶋の、オペラ、人形浄瑠璃、落語、歌舞伎といった教養のひけらかしで、これらが見事に俗物的だということである。独自の判断というものがなく、世間が、これを鑑賞するのが教養人だと思っているものにはまっている。『ノルウェイの森』が出た時は13歳くらいで、その時に読んだと書いてあるが、これらは村上春樹的教養に満ちている。22歳くらいで東洋大学へ入り、該大学をバカにしているが、自分は卒業もできない。私は、犯罪にこそ走らないがこういうのを教養だと思い込んでいる女たちを何人か知っている。それはまあ、ネット婚活で会った女たちが多いのであるが。
 その時々の社会的事件が織り込まれているが、大江健三郎ノーベル賞受賞はない。木嶋の教養の範囲からはずれるからである。
 しかし『礼讃』って何だろうか。自分への礼讃か?